菜箸でかき混ぜながら狐色に変わっていく卵を見守る。予め作っておいたチキンライスを乗せ、くるくると巻き付けて皿に盛りつければ若干卵が破れたオムライスが完成した。店にあるような半熟とかふわふわとかそういうのには程遠いが、腹を満たす分には問題ないはずだ。
「ただいまー」
メールで知らされた時間帯にオートロックが解除された。見慣れた黒いコートを纏った家主が肩を落としながら一直線に俺の所まで来る。
「ご飯なに?」
シンクに並んだ作りたてのオムライスを見て満足気な表情を作ったが、切り替わるようにそれが渋みを帯びた。
「スプーン取れ」
「……うん。玄関に落ちてたライターってシズちゃんの?」
「……多分」
いつ落としたっけと思いつつ、引き出しからオムライス用のスプーンをふたつ取り出しそれで終わろうとする臨也に追い打ちをかける。なにを忘れているという眼で。
「れんげも」
「……これいま食べるの?」
これ、と臨也が視線で訴えたのはオムライスの隣に並んでいる二人前の麻婆豆腐でまだ湯気を放っている。なにを隠そう俺がさっき作ったのだからレンジを通さなくたってすぐ食べられるはずだ。野菜を手で千切っただけのお手軽なサラダボウルをうんざりした顔で眺める家主を無視してテーブルに運んだ。
「ねえ。シズちゃん」
「なんだ」
「なんで野菜炒めまで作ってるわけ?」
自分の嫌いなメニューがあることへの苦情、というよりは、その品数の多さへの苦言だった。大人が三人か四人くらい呼べるほどの量が待っているがそれに対して俺は何も言わない。
「好き嫌い言わずに食え」
「野菜炒めとサラダで被ってる点については黙認しても良いけど、あのね、こんなに食べられない」
臨也の声は嫌に真剣で冗談っぽく言っている気配は微塵も感じない。俺が独り暮らしする時に母親から習った手軽で簡単なメニューをただ並べただけの退屈な食卓だが、俺は大真面目だった。
「全部食わなくても良い」
「ならなんでこんなに作るの?」
俺がこの家で勝手に作る場合には、食費は俺が持っている。大食いでもない男ふたりが結局残すなら勿体ないじゃないかと、臨也のもっともな意見だった。でも俺は臨也の視線を真正面から逸らして温かな料理に視線を落とす。
「良いから」
「……わかったよ」
別に食べたくない訳じゃないんだと呟きながら臨也がコートを脱ぐ。盗み見たその肩は、なにやらとても頼りない。
「頂きます」
袖口から覗く手首や、ファーで隠されていた首筋が嫌に目立つ。細いと思った。 とても細いと、思った。
「シズちゃんちょっと豆腐大きすぎじゃない?」
「こんくらいでちょうど良い」
れんげで掬った麻婆豆腐を胡散臭そうに眺める臨也だがさっきと違ってその表情は楽しげだった。俺が作るといつも喜ぶ。ジャンクフードなんて持ち帰った日にはぶつくさと文句を言われるが、確かにその方が身体には良い。
「ピーマン残したら捻るぞ」
「……善処するよ」
緑色のそれを嫌そうに箸で持ち上げる所作が子供染みていて微笑ましいが、笑っていられる余裕なんてない。臨也の顔付きまでもがなんだか幼く見えるからだ。初めて会った高校生くらいとまでは言わないけど。でも。
「……おまえ」
「うん?」
顔を上げた臨也の表情は俺が知っているそのものの折原臨也だった。すこし気を抜いた愛しいものでも見るような、すこしくすぐったいそれ。
「……なんでもない」
「なんだよ、気になるな」
足りなかったのかケチャップを片手に微笑む臨也を見ることが出来ない。目の前に居るのは俺の高校時代からの天敵であるに違いないのに。関係が変わったとしても、変わることのない姿だったのに。
「シズちゃんって煙草吸い始めたの?」
「あ?」
「ライター」
最近事務所に喫煙者を呼んでないからと事も無げにオムライスを口にした臨也を見て、無意識に掌に力を込めた。もう、奪わないでくれと。勝手に記憶を書き換えるな、と。
「……」
「身体に良くないんだから程ほどにしなよ」
4年以上も前から俺の日常に煙草があったことなんておまえが一番良く知っていたはず。
「牛乳」
「あ、良いよ俺が取る」
「良い」
冷蔵庫に行こうとした同居人と擦れ違う。臨也の頭は俺の肩よりすこし高いくらいの位置にしかなかった。冷蔵庫に入っていない牛乳に溜め息をついて背中を預ける。どんなに食べさせたって、元の身体に戻る訳じゃないってわかってたのにと小さくなった臨也から意識を外した。
きみがすこしずつ居なくなる感覚