棚に眠っていた、五つでワンセットの箱の封を切りながら戻る。既に机の上に常備しておいたものはゴミ箱に無残に捨てられていた。

「うちのティッシュ使い切る気?」
「すまん……」

ノイズ混じりに応えながら、真新しいティッシュを三枚ほど出すと鼻を噛んだ。生憎愛しの彼女は仕事で出ていて、しかしこの池袋最強はセルティが居ないのを見越して此処に来ている。なんでも親友の彼女には泣き顔を見られたくないらしく、話も聞かれたくないらしい。世間話なら間違いなく僕じゃなくてセルティに行くんだけど、生々しい悩み相談だけは毎回このマンションに来て、全く。

「あいつ……マジ……つぎに……会ったら、鼻の骨……折ってやる……」

呪詛を吐きながらその顔は憤怒で歪んでいるのかと思いきや、酒も大量に入っててずっと泣いてばかりいる。面倒臭いと本音では言いたいけど口に出したら吹っ飛ばされるか余計に泣かれるかのどっちかで、両方迷惑なので普段通りの微笑だけを浮かべていた。

「思い過ごしなんじゃない?」
「だって! 忘れ物取りに帰ったらあいつ女に抱き着かれてた……」
「臨也が抱き着いてた訳じゃないんだからさ……」
「俺を見てすげえ気まずそうな顔した……かお、顔、女と、近くてキスした後みたいで……」

浮気現場を目撃したと繰り返して曲げない静雄に不憫なのは臨也だ。静雄よりも先にあいつから連絡を受け「シズちゃん来てない!?」と裏返った声で聴かれたものだ。事情を尋ねると「勘違い女が俺と勝手に付き合ってるって妄想してて勝手に風呂場に入って勝手に歯ブラシ見つけて誰と同棲してるんだってあたしが居るのにその女と別れろって勝手に逆切れされてうっざーと思って追い返そうとしてたら首絞められかけてその直後にシズちゃんが来たの! あああもうあの女あとで社会的に殺す! でシズちゃん来てないの!?」4回か5回くらい勝手に、と単語が入った辺りかなり動揺しているらしく長ったらしい言い訳の台詞をノンブレスで言い切った。かくいう訳で誤解があることは知っているけど、それとなく伝えても静雄はえぐえぐ泣き続けるだけだ。

「俺……臨也にあそばれてんのかなあ……」

ぐでんと腕に顔を乗せて突っ伏し始める。その台詞に少しだけおや、と思って眼鏡を押し上げた。高校時代にふたりが喧嘩の合間に何をしていたかはなんとなく察しはついていたけど静雄が拒まないなら好きにさせようと放置していた、でも、卒業式が迫ったある日に静雄が完全に壊れるのを、止められなかったことは少し後悔している。卒業してから、自分じゃどうにもならないと判断したので臨也をけしかけて状況を理解させたが、戻ってきた臨也はただ首を横に振って新宿に帰って行った。死人みたいな顔をしていたから、高校を卒業してから静雄が何をしてきたかはすぐに調べられたらしい。

「そんなことないよ。あれは君しか眼中に無いし」

当時の静雄は眼も当てられないくらいに衰弱していて、「愛されたい」と二言目。「誰でも良いから」を一言目に。虚ろな、落ち窪んだ眼がぎょろぎょろと動いて、精神科が専門じゃない僕ですら診てあげたいくらいで。決して臨也の名前は口に出さなかったけれど、不眠症に悩まされた彼が夢を彷徨いながら口にする「あいつ」が誰なのか考えなくても判る。

「臨也の馬鹿……死ね……わかれる……」
「はいはい本人に言ってね」

真っ赤に泣き腫らした目元と落ち込んだような悲しげな表情は、あの頃みたいな無機質なものじゃない。ちゃんと恋をしている青年のものだ。静雄の中で新しく「あきらめない」という感情が芽生え、以前なら浮気現場でも見ようものならすぐに自分に過失があるとして首を絞めるが、今回はちゃんと臨也の所為にしている。傷が、癒えてきているのだろう。

「……わかれたくない……」
「それも本人に言いなさい。泣くほど喜ぶよ」

セルティしか愛していない僕だけれども、壊れてどんどん落ちていく静雄を見てきた年月もきちんと辛かった。友人として。静雄と寝た男を調べて歯軋りしながら、それでも静雄に会おうとはしなかったへたれな臨也を見るのも中々面倒くさかったけど。

「臨也が二股してても我慢出来るぞ、俺……」
「まあ2秒くらいなら出来るかもね。素直に臨也を独占しちゃいなよ。あいつ結構なマゾだからさ」
「きらわれたくねえなあ……」
「私の話、なんにも聞いてないよね?」

さて、携帯に着信が来ているようだし、眼を放しても平気だろう。半分寝ている静雄が寝ぼけながらそれに出て、即座に背筋をしゃきっと伸ばした。

「ホットミルクでも入れてあげるよ。飲んだらちゃんと帰るんだよ」

立ち上がりながらそう告げる。ティッシュ代は請求なんてしないから、早く文句をぶちまけると良い。普通の恋人みたいにさ。まだちょっとぎくしゃくしてるけど。
そんな幸せそうな顔で臨也に向かって笑えるなら、もう大丈夫だ。


頭の中じゃ、もう何回も臨也を殺しちゃってるよね、静雄