奴には黒がよく似合う。頭髪だけでなく、衣服も、腹の中も。白と黒の無彩色の中でぽっかり浮かんだ赤は非常に胡散臭い光を放っていた。
堪えられなくなったのは二年生に進級した頃からだ。言葉も何も無しに、暴力の隙間を縫うように唐突に起こるそれ。最初は怖かった。次に飽き飽きした。今はうんざりだ。傷口を抉られるような、それよりももっとにぶく、形容し難い痛みと切なさ。馬鹿らしくて、この気持ちを寂しさと自分が勘違いする前に。

「……なあ」

俺の膝を押さえつけて、淡々と受け入れていた気紛れな口付けが途切れた時に顔を逸らす。顔に朱なんて入っていない。冷めているし、くだらないと思っているし、間違っても期待なんかしていない。愛撫も愛の言葉もなにも無いまま、抵抗しない俺に当初はつまらなさそうな顔をしていたこいつも最近じゃ好き勝手している。

「なに」

今日始めて成立した会話はひどく味気無い。放課後の暗いトイレという雰囲気も何もあったもんじゃない、不潔な床に腰掛けているこの状況もなんとかしたい。俺は極めて努力して、正の感情も負の感情も出さないように言葉を投げた。

「もうやめようぜ」

上手くいったと思う。目の前の臨也は訝しげに眉を顰めただけで何も言わなかった。だが、これで俺の言いたい事は伝わっただろう。だがまるですっきりしない胸中に知らない振りをしてさっさと上の存在を退けて立ち上がる。無表情で気だるそうに自分の髪を弄る奴をもう視界に入れないようにしてその場を後にする。

「逃げるの」

抑揚の無い声はこいつらしくない。でも、俺にはもう関係ない。

「お前が、こんな事をやめるって言うなら」

入り口横のボタンを指先で弄りながら、そっと力を込めて明かりを消した。

「逃げたことにしてくれて構わない」

外は既に視界が聞かないくらいに真っ暗だ。この暗さなら、俺の眼に水の膜が張っていた事に気付かれなかっただろう。

「ずるいね。それじゃあ逃げた事に出来ないや」
「っ……」

背後の気配が動いた気がした。このドアを、開けて、すぐ走れば文字通り逃げ切れる。実際そうしようとしたのに、こんな時に限って滑って回せない。まるで呪いのように。

「やめてもいいけど」

俺のブレザーを引っ張って僅かに露出した項に生ぬるい感触が這う。全身に力を込めたのは防衛本能だ。

「なかったことにはしない」
「……それでも、良い」

今度こそ後ろの存在を払って俺は廊下に飛び出した。最後に臨也が触れてきた場所だけが、このよどんだ夜気の中でもはっきりと熱を持つ。あいつは追ってこない。言いたかった事は、全部は言えなかった。言うつもりは、無かったと思いたい。あんな事を一瞬でも考えて期待した自分を後々黒歴史になると自嘲しながら。
頭に残ったのは、意外と奴の容姿の中では気に入っていた、あの、赤。


臆病者と嗤われても、この思いだけ