胸糞悪いな。
本来の住人が居ない家の中で嫌がらせのように煙草を吸う。嫌煙家のあいつは大層不愉快に思って気分を害すに違いない。いいザマだ。
本当ならこの家で会う予定だったのだが、当日になってドタキャンされた。
急な仕事が入った、なんて言ってたが、何処まで本当なのか。嫌に長く電話で弁解していたが、仕事先なのに姦しい女の笑い声が聞こえていた。気付かない振りをして、頑張れよ、なんて言葉も付け加えて電話を向こうから切らせたのだ。俺にしては上々だろう。

パッケージが大分軽くなってきた所で腰を上げ、リビングから寝室に移動する。改めてみると大分私物が増えてきて絨毯の上に灰を落としそうになったが堪える。代わりにベッド脇の灰皿に強く押し付けた。
必要なものは持ってきた鞄の中に、要らないものはビニール袋の中に。増えたとはいえ最初から大した量ではないので15分も歩き回れば綺麗さっぱり俺が居た形跡が消えた。着替えは以前から少しずつ持ち帰っていたので、今日はもう一着もかかっていない。あいつは多分気付いていないだろうけど。

浮気されてる、なんて。

一緒に過ごすようになってから1ヶ月程度で気付いた事だ。それに少なからずショックを覚えたという事も、だけれど実際は何も言わずに怒りさえ感じなかった。ああ、やっぱり。と。俺の中に浮かんだのは諦めだった。
あいつはひとりに執心しない。「好きだ」「愛してる」なんて言葉は、俺ひとりに向けられたものではないのだ。種への慈しみだ。それでもあいつがどれくらい持つのか試してみたくて、気付かず従順な恋人のふりだけを続けたが、最近はもうずっと会っていない。メールも途絶えたし、昼間にかかってきた電話だって何日ぶりか数えられない。

部屋を出る時に携帯が震える。間違っても奴ではないので気楽にメール画面を開けば、親友から遊びに来ないかという誘いだ。少し、愚痴でも聞いて貰おうか。すぐに返信を返して、一旦ポケットに戻した。

「ん……行く、よ、と」

幾分か気持ちが上向きになったので、忘れ物がないかのチェックを済ませ、鞄から小さなケースを出す。買い与えられた、ほとんど身に着けなかったアクセサリー類。判りやすい位置に置いて、最後に家の鍵も躊躇いなく載せる。もう感慨なんてない。

俺は聖人君子ではないので、不快だともやめて欲しいとも思ったけれど、結局は、あいつがあいつだから、しょうがないんだ。そして注がれていない愛に固執して身を滅ぼすようなこともしたくない。
なら、何もなかった事にしてしまえば良いんだ。
俺だって、ひとりの人間に、ひとりの人間として愛されたいとは思う。人生でひとりの人に出会える確立なんて低い。初めて付き合った相手と生涯を共にするなんて話はまずない。恋愛には詳しくないけど、自然消滅というのか。高校の時に、クラスメイトの女子が喋っているのを聞いた事がある程度だが。特にお互い何の連絡もせずに、付き合いが終わるというもの。まさに俺たちじゃないかと。

単に相手を間違えただけなんだ。これもひとつの経験として受け入れればなんとでもなる。最初から最後まで嫌なこと続きだ。

オートロックになっている扉からさっさと出てマンションを後にする。二度と来る事はないよう、振り返りもせず。要らない小物はうざかったので途中のコンビニに全部捨てた。立ち止まりついでに携帯のデータも全消去する。流れ作業のようにあっさりと済んだ動作に気分が晴れやかになっていった。

「お前は、そういう奴なんだよな」

ああ、胸糞悪ィ!


俺、お前のことそんなに好きじゃなかったん