気泡の浮かばない水の中に居る気分だった。
ぼやけた視界に冷えた外気。でも決して寒いという訳ではなく、水の膜で覆われて、むしろ気持ち良いくらいだった。深く、ふかく沈んだ底で、水の中なら息が出来ない。そう思って眉を顰めるが、気泡が出ないだけで呼吸は可能だった。水中でなびく髪が頬に当たってくすぐったい。心地良い浮遊感は、一切の憂いを落としてくれたかのように、俺を誘う。俺が悩んでいた事って、こんなにくだらない事だったのか。いやむしろ、俺は何に、此処まで神経を使っていたのか。……なんだったっけ。
今まで遠くにあった、ふたつの灯りが俺の周りをふらふらと動く。閉じている瞼の向こうから、ほの明るい光が差してきて、唸る。だけど不快感は無く、俺の肌を少しずつぬくめる。この灯り、見覚えがある。小さくて、勝手に動いて、俺たちを照らす。俺たちを。ああ、思い出した。いざやの、だ。
「ん……」
「シズちゃん?」
体勢は余りよくない形なのに、居心地が良くて俺は身動ぎする。素材の良い臨也の着物がとても暖かくて、抱きかかえられているのに気付いても動く気になれなかった。重い瞼を抉じ開けると、ちゃぷんと水の跳ねる音がした。まだ、船の上だ。暗い景色もそのままで。臨也の赤い眼の他に、俺がさっき見ていた狐火が俺の傍で浮いていた。
「……い……ざや……」
「大丈夫? ちょっと吸いすぎたかな……初めてだから加減が判らなくてさ」
なんの事か判らず、俺は目先の気持ちよさが離れるのが惜しくて額を擦り付けた。臨也の黒い狩衣の上じゃ、俺の異国の髪はよく映える。臨也が整った爪で俺の髪を優しく撫で付けるのに意識が段々戻ってきた。臨也の接吻を受けた後に、力が抜けるように意識を飛ばしたのか。意識が飛ぶほど、俺の中から何かが抜けた感じがした事を思い出す。臨也の腕の中から上半身を起こすと、胸がやけにすっきりしていたので、初めて俺は臨也の前で微笑んだ。
「だい、じょうぶ」
「そっか。……シズちゃんは笑うと綺麗だね。笑わなくてもそうだけど」
いきなり言われた事のない台詞を吐かれて、寝起きなのに俺は目を丸くする。にっこりと邪気無く笑う臨也に気恥ずかしくなって顔を逸らす。するとその先には、臨也が暇潰しと称して質問し合っていた時に出した火の玉が、俺に近付いてまるで意思を持っているように前後に動く。それを眼で追っていると、臨也が喉の奥で笑うような声を出した。
「さっきからずっと君から離れないんだ。随分と気に入られたみたいだよ」
「え……これ、生きてるのか?」
「生物学的な意味での生は無いね。睡眠も取らず食事もしないから。だけど、自分で考える事は出来る。意思と感情は持っているんだよ。永く生きた者の特権。まあ、俺の命令には逆らえないけど」
面白そうに語った臨也は暗闇に腕を伸ばし、見えない枝を折って俺に渡す。俺には暗闇しか映っていないが、そこは確かに森の中なのだろう。
「消化はしないけど、食べることは出来るよ。食事をしないってそういう意味。食べさせてごらん」
「枝を?」
臨也が頷いたので、俺は半分になるように枝を折って、恐る恐る赤みが強い方の玉に差し出すと、口こそ無いが、吸い込まれるように火の中へ飲み込まれる。長さを考えれば、向こう側に出ても可笑しくないのに。確かにこれは枝を、食べた。
「すげえ」
感動した俺は小さく呟いて、もう片方の橙に近い方へ今度は近付ける。勢いよくかぶりつかれて思わず笑いかける。
「これって熱いのか?」
「熱くする事も出来るけど、専門じゃないね。気に入ったなら名前でも付けてみる?」
触ったら手が焼き落とされるかもしれないが、俺を気に入っているという言葉を信じて俺は手を伸ばす。触れた感触は、熱風に手を突っ込んでいるような感じ。熱すぎないくらいなので、上機嫌になって撫でるとぶわっと震えるように炎を一瞬だけ大きくした。俺も臨也を真似て枝を折り、暫く餌を与えるのに夢中になった。
「……常識で考えたら、狐火が人間に懐くわけが無いんだけどなあ」
「へ? なんか言ったか?」
「もうすぐ着くよって」
朗らかに笑った臨也を見て、そういえば周りの枝が見えるようになっていた事に今更気付いて火の玉と戯れるのを中断する。下を見ると、川べりに石が増えてきて陸が近い事が伺える。漕ぎ手の居ない船はやがて速度を落としてから、音もなく止まる。臨也が岸に降りたのでその後を続くと、何故か火の玉は臨也じゃなくて、俺の両肩付近を浮遊する。
「相当シズちゃんが好きになったみたいだねえ」
不思議な気持ちで玉を見つめていた俺に振り返った臨也は、表面上は困ったような顔を浮かべたが、実際は大層興味深いものを見ているような視線を感じる。指先でその玉を擽ると、甘えるようにその温もりは俺の頬に擦り寄った。喋らないし表情もないけど、死んだみたいに寝ていた村の犬よりも何倍も可愛い。照れ臭いけど名前でも付けようか。
掌しかない大きさの存在を愛でながら臨也についていくと、俺の興味は周囲に移った。何しろ、人間が何処にも居ない。周りは薄い霧に覆われているが、遠くに砦のようなものが見える。その周りに、俺の眼が可笑しくなっていないなら、妖が大量に居て笑うしか無かった。
「此処に人間は居ないのか?」
若干興奮状態に陥った俺は落ち着きなく、見世物でも見るようにはしゃぎながら問いかけた。中には完全に人間にしか見えない奴も居るけど、伝承通りの鬼っぽい姿をした奴、鳥みたいな奴。それらが忙しなく動いて、談笑して賑わっている。人間の村より何倍も活気付いてて俺の顔は綻ぶばかりだった。
「此処にはシズちゃんだけだよ」
「あとは全部、妖? それとも神様? 妖怪って大人が言ってるだけの存在だと思ってた。見たこと無かったから。臨也みたいなのは例外でさ」
何人かの視線が、こちらに向けられる。今までだったら俺の異質な髪を指していたが、違う。みんな臨也を見てるんだ。臨也を見た後で、その後ろに引っ付いてる俺を見て首を傾げている。俺が新顔だからか。こんな妖だらけのところじゃ、髪の色が違うくらいじゃ、なんてことはない。それとも人間が珍しいんだろうか。
「じゃあ、此処には人間は来ねえの?」
「そうだね。あの森には人間の方向感覚を狂わせる術がかかってる。入ったら最後、戻れないのはそういう訳さ。何かを探そう、何処かへ行こうと一瞬でも思ったら、もう駄目だ」
「ん? でも俺は……戻ろうとはしなかったけど、あの泉まで辿り着けた。まっすぐ進もうと思ってた」
ほんの数日前の事を思い出そうと空を仰いだが、只管歩いて、歩いて、疲れた事ぐらいしか感想として残っていない。臨也の眼と、言葉だけは鮮明に思い出せたけど。臨也の背中を見上げて、こいつは本当に俺を殺す気が無いんだなとなんとなく思う。俺を救ってくれた、妖。俺も人間から見たら立派な化け物だけど、臨也からしたらただの子供なんだろうな。
「シズちゃん、中、混むから離れないで」
「あ、うん」
近付くにつれ霧が晴れ、昼間だけあって火の玉に頼らなくても十分明るくなってきた。俺のその気持ちを感じ取ったのか、いやだとでも言うように両端の光が上下左右に揺れる。思わずごめんと声に出して言うと、それは大人しくなった。
開け放たれた門みたいな場所をくぐると一気に喧騒が大きくなる。小さい頃に、一度だけ両親に連れられて訪れた都のようだ。それよりも随分と庶民的ではあるけど。
「なあ、妖ってどうやって暮らしてんだ? なんか人間と大差ないぞ」
「そりゃあ、人間と同時期を過ごしているから、生活も似てくるよ。此処の連中は、こんな所にずっと居るから随分とのんびり過ごしてるけど」
「臨也さーん!!」
俺が何か言う前に、後ろから声がかかって足を止める。振り向いた先には、きちんとした着物を身に着けているふたりの子供。俺よりも背が低いから、恐らく年下。ぱっと見ただけじゃ見た目はかなり人間に近い。俺はその内の背が高い方の子供を凝視した。何しろ、俺と同じような髪の色をしていたから。
「来てたんですか! 女将が臨也さんが来たんだったら捕まえて来いって」
「そのつもりだったよ」
「着ないのに新調するんすか? 死蔵被服が泣きますよ……っと?」
幼子が、俺を見る。どきりとしながら曖昧に会釈すると、金色の髪の方が遠慮なく近付いてきた。思わず後ずさるが、顔を覗き込まれる事でそいつの頭に、先はまるいが、小さな角が生えているのが見えた。
「んー? なんか不思議な匂い」
「ちょ、正臣! 失礼でしょ」
もう片方が後ろから引っ張ってくれたお陰で、圧迫感が消えたものの、正臣と呼ばれた子供は俺から離れても鼻を鳴らすような動作を見せた。
「臨也さん、その人は?」
「おっかしーなあ。俺と同じような気配なのに匂いがしねーぞ?」
「この子は人間だからね。成り上がりだよ」
黙ってた方が良いかなと思っていた事実をあっさり口にする臨也を勢いよく見上げる。後半何を言われたかは判らなかったが、ふたりがへー、と語尾を延ばしたのを見て案外人間でも喰われたりしないもんなんだなと恐怖心が凪いでいった。人間は居ないのに、許容はするんだろうか。
「あー成程。でもよく見つけましたね」
「この子が俺の社まで、当たり前のように歩いてきた時に確信したよ」
「ああ、術が効かなかったんですか。なら判りやすい。それでも臨也さんが拾うのってすっごく珍しくないですか?」
必死に会話を追うが、なにぶん経験値が少なすぎる俺には何がなんだか判らない。手持ち無沙汰なので火の玉と遊んでいると、臨也が俺の頭を撫でるので目線を上げる。
「詳しくは追々。まずは新羅の所に行かないと。後で行くから適当に見繕えって伝えて。ああ、俺のじゃなくて、シズちゃんのね」
「はーい。名前なんてーの? 俺は正臣、こっちは帝人」
「あ……静雄」
「静雄さんねー、了解。女の子だったらそっこーで覚えるんだけどな! 杏里みたいなエロカワだったらもっと歓迎」
その後も大声で何か言っていたが半分も理解出来ずにぽかんと開いた口が塞がらない。専ら、内容の中に人名が占めていたから判りたくても判らなかった。やがて呆れたようにもう片方が正臣を引っ張って、挨拶もそこそこに別れる。二人が去っていった方向と反対へ歩き出した臨也を慌てて追いかける。
「今の子も?」
「そうだね。二人とも……判りやすく言えば鬼。出身が同じだから」
正臣の頭に角が生えていた事を思い出し、なんとなしに振り返るが、ふたりの姿はもう見えない。前に臨也に訂正されたけど、妖怪はみんな人間を食べるんだと思っていたから、拍子抜けというといいすぎかもしれないけど、そんな感じだった。本当に人間が知っている妖の知識は間違っているらしい。
周りを観察しながら、臨也にそのままついていくと、目的地らしき建物の前で足を止める。そこそこ大きな建物で、臨也が引き戸を開けると思いのほか明るくて思わず一瞬だけ眼を閉じた。
座敷のような場所で、臨也に倣って一段高いそこに草履を脱いで足を進める。物の善し悪しなんて判らない俺でも、とても綺麗に整頓されていると判る場所だった。辺りを見回していると、俺の右手にある暖簾が鳴ったのでそちらを向く。そこに立っていたのは、首の無い人影だった。
「う、わ……」
村に居た頃だったら叫び声を上げていたかもしれないが、ある程度耐性が出来たので、素直に驚きの声だけをあげる。音も無く近付いて来て、煙のようなものが絶えず出ている首をぎこちなく動かしているように見えた。
「よお、運び屋」
気さくな雰囲気で臨也が語りかけるが、首が無い以外は完全に人間の形をしているので、俺は言葉が出ない。これが扉か何かで隠れて頭が見えない状態だったら俺は人間が居る、と信じて疑わないくらい、人間っぽい。するとそこ首無しは、着物の隙間から紙を出し、筆で大きく何かを書いたと思ったら臨也に突きつけて来た。
『人間の子供を誑かすなと言っただろう!』
「そんな事はしてないさ。この子がむしろ、自分の意思で来たんだよ」
『お前は……偶に顔を出したかと思ったら、子供を飼う事にしたってどういうつもりだ! 新羅の手紙を読んだぞ』
「親展にしたのに。新羅は相変わらず君には甘いんだねえ。まあ良いや、俺が用があるのはとりあえずあいつだ」
てっきり首が無くたって喋れるのかと思っていた俺は、話すのと大差ない速度で文字を書く首無しを凝視した。生憎教養の無い俺は字が読めない。一方的な臨也の言葉だけで判断しようとしたが、判った事なんてこの首無しの他にもうひとり居るって事ぐらいだ。
「シズちゃん、こいつの事はまあ、首無しでも運び屋でも好きなように呼んでいいよ」
「え……でも、名前は?」
俺が遠慮がちに首無しの方を見ると、肩を竦めるような動作を見せた後で、俺に向かって紙を見せてきた。
『私はセルティだ』
「シズちゃんは字が読めないよ。とても貧しい村に居たからね」
『なに!? では、お前が代弁しろ』
「あはは。彼女の名前はセルティ。お友達になりたいってさ」
変わった名前だなあと思いつつ、言われた名前を小声で呟くと、無い首をぶんぶんと縦に振っている。肯定を現したいらしいが、ちょっと必死すぎないかなあと笑い、「静雄です」と笑顔で言えば、女性らしい手が俺の頭に触れて撫でられた。
『うむ……かわいいなあ。それにしても字が読めないなら、意思の疎通の仕方を考えないと』
「俺が教えるよ」
『本当か? なら助かる』
未だに俺を撫でているセルティに、母を思い出しそうになって少し眼が潤む。誰かにこうやって、気軽に撫でられる事なんて無かった。それがどうだ、正臣も帝人も俺に全く臆すことなかった。改めて考えるととても嬉しかったので、照れくささを誤魔化そうと頬を引っかいた。
「じゃ、後は宜しく」
「臨也?」
俺の肩に軽く触れたあと、臨也が踵を返したので思わず声をかける。
「何処行くんだ?」
「仕入れてくるよ。色々と、ね」
「……いつ戻ってくる?」
「あはは、シズちゃん、不安なんだ?」
一旦戻った臨也は優しげな笑みを浮かべ、屈んで俺を抱き締める。船に乗っていた時に、抱きかかえられたあの感触と同じ。着物とかそういうの関係なく、臨也は人を安心させる力でもあるのだろうか。強張っていた肩の力を意識して落とすと長い爪で俺の頬をひと撫でしてから、肩にある存在を指差す。
「この子らはシズちゃんから離れる気が無いらしいから、もうあげるよ」
「あ……、ありがと」
「ちゃんと帰ってくるから良い子にしててね?」
それだけ言うと、臨也は軽やかに出て行った。一度だけぴくりと反応した狐の耳を最後に。狐火があるとはいえ、心細くなった俺がずっと扉の方を見ていると、セルティが俺を手招きした。素直に後を追うと、あれだけ整頓されていた場所が嘘のように、ごちゃごちゃと訳の判らない物が鎮座している部屋に入る。だが俺が見回す暇もなく、奥から白い和装の男が現れた。
「あれ? 臨也帰っちゃったの? 自分勝手だなあ」
ああ良かった、こいつは喋れるらしい。密かに安堵した俺の前で、セルティが男に向かって何か見せている。
「ああなんだ。全く、自分の所有物なら最後まで責任持たないとね!」
「それは僕らが口出しする事じゃないよ。手紙の文面でも判るくらい、あいつはしゃいでるみたいだからね」
「その子がどうするかってだけさ。セルティ、君が心配するのも判るけど、一先ずは様子を見てみようじゃないか」
二人が会話なのか会話じゃないのか、判らないやり取りをしている間に辺りを窺う。和風な感じが失せ、床は何故か真っ白な石造りで混乱する。外国の事は判らないけど、海の向こうはこんな感じかもしれない。やがて男が俺に近付いて来て無邪気な顔で笑う。
「初めまして、静雄君?」
「俺を知ってるのか?」
「臨也が手紙を送ってたでしょ? 受取人は僕だよ」
そういえば。手紙に臨也が息を吹きかけたら鳥になったんだった。目線が同じになるように屈んだ男を眺めていると、ふむと顎に手をやりながら首を傾げたのでどうしたら良いか判らずにセルティを見上げた。
「僕は新羅。臨也とはまあ、腐れ縁かな。あー、君も僕らに聞きたい事があるかもしれないけど、僕も是非、聞きたい事があるね!」
「なんだ?」
「なんで生身の身体で此処に居るの?」
随分と早口で言われたが、声がはっきりしているのできちんと聞き取れた。けど内容が判らなくて眉を寄せる。生身、って、どういう事だろうか。生身じゃないって、幽霊とか?
「俺は死んでねえぞ」
「見れば判るよ。私が聞きたいのは、えーとね、言いにくいけど君みたいな人間は此処に一歩足を踏み入れた時点で死ぬはずなんだけど」
「……なんだそれ」
臨也はそんな事は一言も言ってなかったし、俺も特に体調が悪い訳でもない。それでも気になって腕を抓ったら痛かった。
「だからもし、入用で妖が人間をこの里に入れるなら、保護の術をかけなきゃいけない。だけど君からはそれを感じられない。言ってる意味が判る?」
「全然」
なんでだろうと一瞬考えたが答えは浮かばなかった。俺の怪力と関係があるのかな、と考えた所で新羅が乾いた笑い声をあげた。
「つまり、僕の予想が正しいなら、君は妖だということになる」
「いやそれはねえだろ」
即答した自分に苦笑いが浮かぶ。でも、俺は確かに人間離れはしているが人間のはずだ。何しろ両親も弟も普通なんだから。ただ、此処まで断定されるともしかしたら、と考えてしまう。それとも俺は両親の子供じゃなかったんだろうか。
「論より証拠。君がこの大気を吸ってぴんぴんしてるんだから少なからず君は人間じゃないはずだよ。あー、セルティ、あれを」
頷いたセルティが何処かへと消えたので、新羅と眼を合わせるのが嫌なのも手伝ってその後姿をじっと見つめた。十年以上生きてきたのに今更俺が人間じゃないとか、笑えない。それに臨也だって俺を初めて見た時に「人の子」って言ったし。
俺が色んな事をぐるぐる考えていると、セルティが透明の箱を持ってきた。新羅が引き寄せた机の上にそれを置く。中にはやはり透明な水が入っていて、何の変哲もない石がひとつだけ転がっていた。
「見ててね」
新羅が濡れないように袖を捲って、人差し指を水の中に突き入れる。すると一瞬で色が薄い青に変わったので、好奇心から身を乗り出す。新羅が指を抜くと、また透明に戻った。可笑しな事に新羅の指には、水なんて一滴も付着していない。
「このように妖が触れれば色が変化する。本来の用途は、正体不明の毒にやられた患者の患部に垂らすとなんの妖の、どういう毒にやられたかが判るって代物なんだけど。僕みたいな蜘蛛の種族は青っぽくなる」
「……俺が触って色が変わったら、俺は妖?」
「そうなるね。しかも色で種族まで判るよ。こう見えて色々な奴を解剖したから。もし透明のまま変わらなかったら、僕は君に土下座しないといけないね!」
冗談めかして言われた言葉に思わず吹き出して、二人の視線……セルティには眼が無いけど、熱い視線が注がれているような気がして、俺は恐る恐る手を出す。これは真実だ。触れたら戻れない。でも、昔からなんで俺は怪力なんだと悩んでいた身としては、真相はとても知りたかった。妖なら……仕方ないと割り切れるから。
生唾を飲み込んで、俺は指を液体に沈めた。
この感触には震えがする