元々、静雄の心は不安定だった。心身ともに成長段階にある高校生という事を抜いても。
何時も俺の邪魔をしてくる奴のメンタルが弱いと気付いた時、無理矢理に関係を持った。案の定、静雄は暫く生気の無い顔をして元気が無かったから、もう一押しすれば踏み躙れる、巧くいけば利用も出来ると思ったのに。押し倒しても静雄は抵抗してこなかった。怯えるような眼をしつつ、期待を躍らせているようだった。そんなものを打ち砕こうと一度だって優しくなんて抱かなかった。それなのに、静雄はまるで望んでいるかのようにその時だけは従順になって、訳が判らなかった。キスどころか前戯で肌を撫でる事すら滅多にしない俺に向かって眉を歪めて微笑むのだ。
体調を崩せば良いと気絶した静雄を放置して処理もしなかった事もあったのに、彼は俺を拒絶しない。ただ俺を見ながら、俺の瞳を覗き込みながら、俺の名前を呼びながら、違う誰かを求めていた。
誰を見ているんだろう。
三年生にもなったら、静雄が誰かに好意を寄せている事に気付いた。そしてその相手は、静雄にとって手が届かない存在なのだと。俺は静雄にとって、取って代われる相手なのだとも知っていた。その相手をものに出来ない代わりに、俺に抱かれて重ねて見ている。それを不愉快に思うようになったのも同時期だ。
俺に抱かれているというのに、俺じゃない誰かを欲して、静雄の意識は何時だって俺には向けられない。いっそ問い詰めようかと思ったこともあったが、それじゃまるで俺が気にしているみたいで気持ち悪かった。俺はあくまであの化け物には嫌悪しか抱いていないと思わせる必要があった。……どうしてかは判らない、だけど当時は、絶対に自分の感情を晒すことなんてごめんだと思っていた。
選択を間違えたのは、俺がずっと臆病だったからだ。
俺のものにはならない、だけど消えてもくれない。そんな首輪がつけられない犬は要らない。だけれど、俺に縋って涙を流しながら、俺の腕の中で快楽に浸る静雄を見ていて、センチメンタルな気分にでもなったのかもしれない。あの時のことは、実はよく覚えていない。
俺に揺さぶられながら静雄はずっと俺を見ていた。何度も俺の名前を呼んだ。その口が奏でたいのは、他の誰かだろうとなじりたくて、誤魔化すように首筋にキスマークを残した。俺は何時から、この男に必死になっているのか。耳に近いところで静雄が喘ぐから、限界を感じてそのまま吐き出す。その間も、静雄は別のことを考えていて、その考え事は想い人なんだろう。そう思ったのに、視線を感じて振り返ったら、もう行為は終わったというのに、静雄が俺をまっすぐ見るから。
彼にキスをしてみたかった。
それを叶えたと思ったら、彼が、まるで口が滑ったかのように俺を好きだと言った。
……なに? 君の好きは、こんなあっけなくこぼれる程度のものなのか。子供じみて矮小な怒りに囚われた俺。その所為だった。
静雄が元より精神的に不安定だということ、心は弱いのだということを、忘れてしまった。
俺の衝動的な言葉は、何より静雄に効いたのだろう。彼は心を壊してしまった。
「そりゃ、そうだ……」
ぐらりと静雄の身体が揺れた。身体だけじゃない。静雄の瞳から光が消えたのと、怖いくらいに色をなくした肌を見て、間違えたことに気付いた。彼の中で急速に現実が収束する。俺は言葉を見つけられなかった。静雄の中には、俺のものとは比べ物にならない狂気が在った。
「終わらせるか」
静雄が笑った。俺が見た中で、一番機械的。そして心からの笑顔。壊れた心から、の。
「お前にすら愛されないくらいなら、諦めるよ」
この時に俺はなんて言えばよかったんだろうか。すぐに訂正して、謝罪して、キスした本当の理由を告げるべきだったのか。子供だった俺にはどれも出来なくて、プライドが邪魔をした。この時点じゃ俺は、まだどうにでもなるとか、色んなカバーの方法を考えていた。去っていった静雄と、卒業式でもう一度話せば良いと。
何時もだったらだらしなく着ている学ランを、この日ばかりはきちんと締めて、現れた彼。てっきり厳粛な場だからだと思った。遅刻してきた静雄の身体中に自傷の痕があったなんて、想像もせず。俺が話しかける隙すら与えず、彼は卒業式という席からひとり、黙って消えていった。
卒業してから暫くして、静雄の様子が可笑しいと新羅から相談があった。あいつがどうなろうと俺には関係無いだろうと鼻で笑い飛ばしてきたものの、気になりはした。何しろあれから一言も会話していないのだし、眼も合わせていない。最後だけは俺を見つめていたあの眼が、今はどんな色を宿しているのか。
実家に暮らしていた静雄を見張って、後をつけてみた。ふらふらと覚束ない足取りよりも、こんな深夜に家を出た事がとても意外だ。しかも俺の気配に全く気付いていない。それよりも更に驚いたのは静雄が向かった先だった。つい先日高校を卒業したばかりの18歳が通う場所じゃない。
ほとんど何も考えずに同じホテルに入り隣の部屋で物音をずっと聞いていた。俺の心に杭を打ったのは、俺しか聞けなかったはずの静雄の嬌声。有り得ない、これは何かの間違いだ……、彼に限って、自分の身体を売るようなことはしないはず。と。そんなことは、純粋な静雄に出来るはずがないと、考えた。
だけれど。
すぐに静雄の、あの顔を思い出した。
俺が捩じ曲げた。
俺が壊した。
シズちゃんを変えてしまったのは、俺?
俺のプライドが、彼を傷付けた。もう、どうしようもないくらいに。
それを否定したくて俺はその場を飛び出した。こんなこと誰にも教えたくないと、自力だけで全部調べた。静雄がそんなことをするのは俺の所為じゃない、間違いだ、それを証明する為に。そんな告白が叶わなかっただけで身売りなんてするような奴なんかどうでもいい……。
叶わなかっただけ?
静雄が今まで見ていたのは俺だった?
違う誰かを見ていたのではなく、俺を?
なら。
ずっと好意を寄せていた俺に、壊されたというのか?
静雄の、あのときの、“好き”は。
俺みたいに軽いものじゃなかったのに
やっと口に出来た、心の弱いシズちゃんの精一杯の言葉だったのに
俺は。
今更彼に俺も好きだなんて告げたってなんの意味も無いだろう。静雄はちゃんと言ってくれた、だけど俺は言えなかった。あの場でしか、彼の心を動かせる言葉なんて無かったんだ。シズちゃんが狂ってしまうくらいに欲しがった愛を、俺はあげることが出来なかった。
彼の愛を探す行為を止めることなんて出来ない。俺にしか見せていなかったあの姿を、他の男に見せるなと言えるものか。俺に求めていた愛を、狂ったように探し歩く彼。夜な夜な、弟が心配するのも振り払って愛情を求めに行く。それが数年続けば、俺だって我慢が出来なくなる。だけど俺は何を言えば彼の赦しを貰えるのだろうか? そもそも、彼はもう俺のことなんて忘れているんじゃないだろうか? 言い訳に言い訳を重ねて、その後、
「臨也?」
「……」
「臨也、おい」
「……」
目の前で手のひらがぱんっと鳴らされる。驚いて瞬きのあとに身体を引いた。
「シズちゃん?」
「他に誰が居るんだよ」
可笑しな奴、と目の前の彼が首を傾げながら微笑んだ。急に目の前の出来事が現実味を帯びてきて、ああ、と照準を彼に合わせる。
「ごめん、ちょっと考え事」
「……浮気してんじゃねえだろうな」
机越しの静雄がじとりとした眼を突きつけてくるので慌てて両手を振るが、聞き入れてくれなかったのかあらぬ方向に視線を移してぼそりと呟いた。
「なら俺も浮気する」
「違うって! シズちゃんのこと考えてたの! てか浮気ってなに、相手居るの? 探して息の根止めちゃうけど問題ないよね?」
つんと俺を見ない彼に俺の動揺は結構大きかった。急いで対面のソファまで駆け寄って隣の空間に座ったが、何故か間にクッションを入れられて自然と距離が空いてしまう。
「機嫌直してよシズちゃん」
「うるせえ、別れる」
「こんなことで!? 浮気は駄目だけど別れるのは絶対赦さないからね、俺」
「……お前が先に浮気した」
「してないってば!」
クッションを押し潰して彼を抱きしめようとしたが、触れた瞬間に強烈な勢いで跳ね飛ばされてそのまま元の位置に座る事になる。もふもふクッションが静雄はお気に入りで抱きしめるようなその姿勢にクッションに嫉妬する。ねえ、と声をかけようとしたらむっとした真っ赤な顔をこちらに向けた。
「だって! 呼んでも反応しねえし違う奴のこと考えるし! もう良い別れる!」
「だからシズちゃんのこと考えてたの! あー、もう言いたくないけど、高校時代のこと!」
「……」
一瞬で黙ってしまった彼を信用させる事は出来たようだが、息を呑むような声を出したあと思い切り顔を反対方向に向けられた。静雄にとっても俺にとっても、余り思い出したくない出来事だ。それにしてもあんな事があったのに、彼が俺の隣に恋人として座ってるなんて色んな奇跡に祝福されたとしか思えない。
「シズちゃんに告白する前の俺ってほんと馬鹿だなーって、思ってたの。過去のことだけどシズちゃんのことだよ、考えてたのは」
声のボリュームを落として宥めるように言えば、ぷるぷると小動物のように震える静雄の顔がこちらを向いた。まるで本当に? と聞いているように見える。欲しい言葉を欲しい時にあげる、俺は彼に対してはこれを徹底していた。
「本当だよ。だから、別れるなんて言わないでよ」
今度こそクッションをどけて、膝と膝がくっつくくらいに接近する。俺が女の子から贈り物をされたと知ったら浮気する気だってじと眼で見てくるし、ちょっとでも俺以外の香水の匂いがすれば浮気してきただろとどんよりオーラを出してくる。決まって、涙目になって、浮気してる→別れるというコンボは彼と付き合いだしてから結構な数起きていた。その度にそんなことはないと彼の目の前でプレゼントを全部焼却処分したら信じてくれたが。
「俺のことやっぱり信用無い?」
「……」
やき餅焼いてくれるのはとても嬉しい。彼の気持ちを独占出来て優越感にも浸れる。だけどちょっと疑われすぎじゃないだろうか。シズちゃんが俺を欲しがるレベルってかなり高いんだけどなあ。自惚れじゃなく、静雄は俺のことが好きすぎるんだ。だから、幾ら弱いといっても、他の奴だったらあそこまでならなかった。唯一である俺の言葉で心を病んだんだ。
「……る」
機嫌を悪くするのも直すのも割と早い静雄は今回も例に漏れない。うん? と優しく問いかけてあげれば、頑なだった口をきちんと開いてくれた。
「信じて、る」
「ありがと」
過去の自分を叱咤して過去の静雄に懺悔しても、現在の静雄を疎かにしたらなんの意味も無いじゃないかと俺は気を入れ直した。さりげなく静雄が抱えているクッションをずらして頬にキスする。
「ひっ」
だけど静雄から返ってくるのは怯えにも近い驚きの声で。
「いや?」
「ち、が……す、する、なら……」
ココ、そうやってぎこちなく指差すのは唇で。誘われてるのかな、と最初は思っていたがそうでもないらしい。でもこのまま放置すると塞ぎ込むと判っているので遠慮なくぷにゅりとした唇を堪能することにする。俺に突き放された日から、数え切れないくらいの男に身体を赦していた静雄。健気にも俺があげられなかった愛情を求めて、毎晩毎晩。
だけれど彼のキスはまるで子供みたいで、付き合う前に初めて舌を入れたら本当にこれが売りをする奴のキスかと少しだけ驚いたのも事実だ。今じゃ大分慣れてきたらしいが、舌先でぺろぺろと触れさせる事が限界らしく、基本的に奥まで引っ込ませるから俺としては若干加虐心が芽生える。
「ふあ……」
「可愛い」
とろりと光が反射するくらいに眼を潤ませた彼が愛しくて、囁きながら耳たぶに歯を立てた。しかしさっきと同じように悲鳴のような声を出されて、しかも今度は軽く距離を取られる。俺が手で触れようとしたら息を呑んでクッションが潰れるくらいに抱きしめた。
「触られたくないの?」
「……」
益々殻に篭るように縮こまった彼を抱きしめたくても、触れられることすら赦されないならそれも出来ない。静雄が俺を拒む理由は知っているけど、知らないふりをしていた。彼は俺の言い分を、認めようとはしないから。
「き……キスは……良い、けど……」
「髪を撫でたりさ、抱きしめたり、俺はシズちゃんにキス以外のこともしたいんだけど……?」
――静雄は自分の身体で唇だけが聖域だと思ってる。他でもない、俺しか触れたことのない場所を。
「で、でもっ」
「触りたいんだよ」
「なん、で」
「シズちゃんが好きだからだよ?」
俺の言葉に大いに戸惑っているのか、静雄が唾を飲み込む。忙しなく移動する目線を捕らえたくて、頬を両手で包み込む。見開かれた眼に大きく映った自分を確認した直後、思い切り払われた。
「駄目だ、駄目だ!」
「どうして?」
「そんなの、決まっ……俺、が汚いから」
そんなところだろうと相場はついていたから、特に驚きはしなかった。でも俺のそんな反応が淡白だと思ったのか、顔色を伺うように俯くと、元々浅く腰掛けていたソファから更に自分の身体を離すように動かす。
「ごめ……わ、……別れたいなら、俺……」
心の弱い彼は自分に対して強すぎる劣等感を持っていた。元々その傾向があるのに、それを助長させたのは過去における俺の言葉だ。お互い本音をぶつけるまで、彼は自分を愛してくれる人を探しながら、そんな人は世界の何処にも居ないと諦め切っていた。そして愛してくれるのが、俺だったら良いのにと。言いかけた言葉で俺は確信したんだ、彼の弟に確認を取るまでもなく、彼はまだ俺を想ってると。
「どうしてシズちゃんは、すぐに俺と別れたがるの?」
身体のことは触れず、ただ精一杯優しい声で聞いたつもりだった。彼の言葉は、まるで何時でも別れられる準備をしているとでも言っているのかと勘繰ってしまうのだ。その予想はそんなに外れていないはず。
「んなの……」
言いかけて、瞼を閉じたり開いたりを繰り返す彼はもう、俺の事を見る事が出来ないらしく潰れたクッションに目線を落とした。
「俺強くねえ、から……お前がもう要らないって言ったら、どうしようも出来ねえし……も、傷付きたくないから、心構えだけはしとかないとって……」
言葉通り覚悟していたのか、静雄の言葉は震えてはいなかった。ただ凄く、辛そうではあったけど。
――思いをぶつけたあの日、事務所に連れ込んだ静雄をそのまま抱いた。自分の中にある葛藤や劣等感を、彼は押さえ込んで応えてくれた。多分幸福感がそうしたのだろうけど、俺が肌に触れたら怖がったし、見せる事も嫌がった。宥めて宥めて、あの時出来なかった優しさを込めて抱き締めれば安心したのか笑ってくれた。でも。
静雄はゴムを付けろと譲らなかった。それだけは明確な拒否だった。呆気に取られた俺を他所に、快楽に震える手で避妊具の封を切った。俺の情報が正しいなら静雄は男遊びこそ酷かったが一度も避妊具無しでしたことはないはず、だから病気持ちって訳でもないはずなのに。そうやってぐるぐる考えている内にいざや? と首を傾げられたので、一先ずは目先の快楽を食べちゃおうと思ったのだけど。
「シズちゃんは忘れちゃった?」
「……なにを?」
「俺に怒鳴った、あれ。“絶対に”……」
「あ……」
俺は彼を汚いと思った事なんて一度も無い。だけど彼にしてみると、後悔の塊なのだろう。あの一回だけで、俺には肌の接触をゆるしてくれない。汚さが移るとでも思っているのだろうか、でも俺は静雄を、今までの分、甘やかしてやりたい。愛に頭まで浸からせてあげたい。これが愛なんだって思って欲しい。彼の身体がびくりと強張るのを感じながら、俺はしっかりと背中まで腕を回す。
「臨也だ、めだ……っ」
案の定、静雄は首を振って嫌がるけど、真剣に嫌がられたら俺だってやめてる。本心と逆の事ばかり言う唇を、望みのもので塞いであげれば肩の力が少し抜けるのを見て取った。彼が自分から俺を抱き締めてくれる日までは、まだ時間はかかりそうだけど。抜いたばかりの舌で弾力のある唇を舐め、目線を合わせて笑ってやる。
「俺はシズちゃんを離す気は無いよ。絶対にね。……シズちゃんがそう望んでくれたんでしょ?」
本人の口から、そう言えば赦してやると言われたのだから。彼は怖がりで、愛されたがり。本物が貰えないなら代用を探すくらいに直向き。だけど本物が得られても拒絶されるくらいなら諦めたがる。いびつなバランスを、本人も自覚しているはずだ。
俺をぼんやり見つめていた彼は、今にも泣き出しそうな顔をしながらこくこくと何度か頷いた。そのまま抱き締めても、受ける抵抗は少ない。少しずつ俺に心を開いてくれているのだと思うと、嬉しくて口元が綻んだ。
「ごめ……」
「良いよ。俺こそ不安にさせてごめんね?」
「そうじゃ、なくて……」
引き離すのが目的ではないという意味で、静雄がとんとんと俺の胸を叩いた。抱き締めていた力を少し緩めると、母親に怒られた小学生のような落ち込んだ顔が見えた。
「うわ、き、するとか……言って、ごめん」
ああ、あれか。俺と付き合ってから静雄は今までのセフレと全員縁を切ったらしいが、しつこいのも中には居てそういうのは俺が裏から手を回した。曲がりなりにも静雄に好意を寄せているのだ、それを彼が勘違いして愛情だと思ったら大変だ。静雄ですら把握していない数や顔やら本名やら、調べ上げられることは全部調べたが流石に全員は無理だ。俺が油断したらまた寄ってくるかもしれないので注意しないと。
「シズちゃんが本気なのは俺だけって知ってるけどさ、俺だって心配するんだからもう言わないでよ?」
「う……、わかった。てかも、連絡とか全然取ってねえし俺なんか浮気なんて出来ねえよ」
「いやいや! シズちゃんは歩いただけで色気たっぷりなんだからしっかりね! 色目なんか使っちゃ駄目だよ」
「使うか! てか使ったことねえし」
不安定な彼の心。だけど何処までも何処までも果てしなく真っ直ぐ。静雄は俺にとって不思議な存在だった。一度俺の手で壊してしまった彼を、俺がもう一度癒したい。
「シズちゃんの魅力に気付かないような奴はみんな死ねば良いよ」
「……気付いて欲しいのか?」
「それも嫌だな……自分で言っといて。うん、シズちゃんを愛しているのは俺だけで良いの」
抱き締めたままの体勢でぐりぐりと静雄の肩に顔を預けると途端に涙目になる。よっぽど自分が醜いと思っているのか、静雄からは手を伸ばしてくれない。彼よりも俺の方がずっと汚いことしてるんだけどな、と見えないところで苦笑する。
「今日、泊まってかない?」
「いやだ」
「……毎回即答されると傷付くんだよ? 俺」
良い雰囲気だったから今日こそ頷いてくれるかもしれないと期待したのに。明らかにがっくりと落ち込んだ俺を見てうう、と唸りながらも言葉を漏らした。
「ソファか床で寝るって、言ってんのにお前が聞かないからだろ!」
「なんで恋人を床に寝かせるの、友達のお泊り会じゃないんだからさ。いやそれ以下だよ」
「お、俺にとっては臨也の家に居ること自体が夢みたいなんだぞ、ベッドなんて厚かましい」
神の寝所って訳でもないのに、此処までくると強情も立派な才能だ。人生で一度も恋人を俺のベッドで寝かせたことなんて無いのだからいい加減了承して欲しい。
「別にシズちゃんと一緒に寝たって襲ったりしな……、……自信は無いけど」
「てめえはやりたいだけか! してえだけか!」
「うーん完全否定は出来ないけど、シズちゃんをベッドでぎゅーってしたいの! てかシズちゃんと一緒に寝たいの! 朝起きたら一番にシズちゃんの顔が見たいの! おはようのちゅーして欲しいの!」
「ばっ馬鹿かお前ほんと馬鹿馬鹿」
俺の言った事を律儀に想像したのか腕の中にある体温が上がった気がした。駄々っ子のようにキスがしたいと繰り返すと、ぎゅっと眼を瞑った彼が気のせいだとも思えるくらい一瞬だけ唇を重ねた。静雄は別にセックスが好きな訳じゃなくて、愛されてると思える行為が好きなだけ。曰く、嘘でも、手っ取り早く愛情を勘違い出来るからしてただけと。
そんな彼がするのだから、キスはだいぶ気に入っているらしい。ただし唇限定。
「俺にとっちゃ、その、泊まるなんてすげえハイレベルなことだと思ってんだよっ……! だから、あー、順序っていうか……」
「んん? じゃあ何をしたらシズちゃんは泊まってくれる?」
静雄からすると宿泊の前に何かあるのだろうか。告白してキスもして身体も重ねたのに、それ以上? セックス<お泊り な思考回路にやはりこの子は侮れない。
「その……」
「どの?」
彼に関する事じゃ余裕の無くなる俺は端から見れば急かす嫌な男なのだろうか。早くシズちゃんをものにしたいのに。告白が叶った時はそれだけでもう彼が俺のものになった気がしていたんだが、人間って本当に後から後から欲が出てくる。
「お前の家に、慣れることから……」
おずおずと視線を絡めてきた静雄に最初はぽかんとしたが、段々と思考が都合良い方に向かっていく。
「それって通ってくれるってこと?」
高鳴る鼓動を自覚しながらじっと見つめると、瞬時に「迷惑なら良いっ」と声を荒げられた。彼は、俺がして欲しいことは全部自分の我侭だと思っているのだろうか。ああ、もう。とりあえず何も判っていないようで俺を翻弄する恋人にキスを仕掛けた。
通い妻ってことにしても、良いよね?