※死ネタ注意
時限爆弾ってあるじゃないか。映画なんかじゃ、専門的な知識を必要とすることなく、主人公が色のコードを順番に切って行って止めるって、あれ。その色の順番は、白を最初に切ったら爆発だとか、青は最後まで切らないとか、色々ルールがある。主人公がそれを止められるのは単なる勘だったり、推理だったり、仲間からの助言、または敵の自白、色々ある。
その爆弾は止めないと、自分も味方も木端微塵って訳だ。それは確かに命を賭けるのに足る博打だ。じゃあ。
「俺が此処で君のコードを切る事は、俺の何を賭ける事になるんだろうね?」
透明のコードをくい、とナイフで持ち上げる。あらゆる知識を叩きこんでいるとはいえ、俺でもどれがこの男を死に至らしめる事が出来るのかは判らない。何しろ、何本だ? 目視出来るだけで10本以上見える。君の呼吸は深くて遅い。一定のリズムで酸素マスクに白い膜が貼って、また色が落ちていく。
だが、命綱が10本あるという意味じゃない。恐らく10本のどれを切ってもアウトなんだろう。君の命を繋ぎ止めるものが、中身の知れぬ液体だなんて!
「シズちゃんさー、生きてる意味あるの? 起きないし喋らないし食べないし。三大欲求が偏り過ぎだよ」
俺の声かけに応えた事も無い。それってさ、俺たちの関係も無いようなものじゃない。ずっと変わらない音、まだ生きている音。君もそうやって生きているのは辛いでしょ? 俺が終わらせてあげようか。俺に賭けるものなんて無いからね。極限状態の主人公じゃない、とても冷静で、やめるという選択肢もあって、なおかつ犯人は俺じゃないと細工する事も出来る。ぎりぎりとナイフを持ち上げると、強度の強いチューブも少しだけ悲鳴をあげる。なのに君は顔色ひとつ変えずにさ。
「……不公平だ。君が生還したとしても、君にとっては一瞬なんだろう? 俺たちにしたら是非とも返して欲しい無駄な時間だよ」
必死に治療法を探した知人に、君の最愛の兄弟。やつれるくらいに心配した上司や親友。それを全部無碍にして、君は死ぬんだよ。誰の所為で? 俺の仕業で。
さっきからぶるぶると震えるだけで、中々切れない。それもそうだ、俺が力を込めているのは柄を掴む力だけ。舌打ちした。ひょっとしたら明日になったら眼を覚ますかもしれない、そうしたら俺がした事は徒労だ。なら、あと一日だけ、一日だけ……もう何年経った事か。今日こそ。君はもう目覚める事は無い。
「ねえ、遺言は無いの? 君には世間に謝る事が沢山あるだろう。『生まれてきてごめんなさい』とか、『暴力が服を着てごめんなさい』とか……キリが無いね。シズちゃんはこの世に在っても良い存在じゃないんだよ」
汗で滑る。こいつを殺す事なんて、義務教育を終えた直後から決心していたのに。その手前でこの体たらくなんて、この男じゃあるまいし。殺す殺すと言いながら、一度も俺に致命傷なんて与えなかったこの甘ちゃんと、俺は同じじゃない! こんな化け物と同じだなんて! 死ねばいい、この化け物は死ぬべきだ!
毎日毎日、飽きもせず観察という名の見舞いを繰り返していた自分を、全否定したくて。
音は聞こえなかった。漏れた液体が俺の手を濡らした。皮膚に当てたら有害かもしれないので慌てて拭き取るが、その最中にいきなり警告音がけたたましく鳴り響いて顔を上げる。これで、本当に、死んでくれるんだろうか。君は。
「死んでくれるの? 俺があれだけ苦労しても、君は死んでくれなかったのに。死ぬの? 本当に?」
彼の黒くなってしまった髪をじっと見つめて、これで死ななかったら正真正銘の化け物だねと、笑った。笑った所で、俺の顔は引き攣る。静雄の瞼がゆっくりと開いた。天井を見て、自分の身体を見て、そして俺を見る。俺がナイフを片手に立ち尽くして、自分の傍にある機器がうるさく鳴っている、それだけで事態を理解したのか。君は薄く微笑んだ。
「……」
声を出そうとしたのか、でも、もう何年も喉に液体を通していない枯れ果てたそれじゃ無理だろう。震える手で酸素マスクを外してやる。すると彼は、ずっと意識不明だったとは思えないくらいの力強い手で、自分に張り巡らされているチューブという命綱を引き剥がした。薬品が飛び散る。命が削られる。
「シズ……ちゃん」
一仕事終えたような顔をして静雄は天井を仰いだ。見る見る顔色が悪くなり呼吸だってまともに出来ていない。
「……死ぬの?」
君を心配している人が沢山居るのに。たった一瞬の悪夢を、君は勝手に終わらせるのか。最後に一言、何か残したくはないのか。弟君に、親友に、旧友に、上司に。
「言っとくけど、コードを抜いたのは君自身だ。俺に罪をなすりつけようったってそうはいかないよ」
皮肉を折り混ぜて吐き捨てたつもりだった。すっかり生気の無くなった顔で静雄が俺を見た時、それが叶わなかったと気付いた。俺は死にながら生きるという選択肢と、生きながら死ぬという選択肢を、静雄の人生を勝手に選ばせた。この一瞬に立ち会うべきなのは俺じゃない。
「苦しい? 馬鹿な事したね、すぐナースコールすれば、助かったかもしれないのに」
今の静雄からは死臭がするという事を、遠回しに告げた俺の声は何故か熱を帯びている。
黙って聞いていたのか、それとも呼吸を落ち着かせようとしていたのか。何も言わなかった静雄は、俺の方に顔を向けて、口パクで「来い」と言った。
「俺を道連れにしたいの?」
……一瞬でも、それも良いかもと思ってしまった俺は、疲れているのかもしれない。水たまりを作っているベッド付近までよろよろと近付き、シーツに手をついて顔を近付けた。こうでもしないと、彼の今際の声は聞こえない。さっきチューブを引き千切った時と同じ力で、俺の首を締めれば、なるほど俺は死ぬだろう。それが出来なくても、手でも掴んで骨を粉砕する事だって出来る。俺は彼を殺したんだ、それを受ける義務はあるだろう。
「……」
やはり静雄は声を出せなかった。ぱくぱくと苦しそうに開閉しても、その意図は俺に伝わらない。残念だったね、と身体を離そうとしたら、思い切り肩を掴まれて身体を倒される。肩が砕かれたら、結構面倒臭いかもしれないと目配せしたのに、静雄は何故か、眼を閉じてくっく、と笑った。
「なんだよ」
死の淵に立たされた時、人は可笑しくなってしまうのかもね。死後の世界なんて俺には興味無い。一頻り笑い終えた静雄は、深呼吸してからまた口を開けた。
「ざ……」
「……まァ……みろ……」
こいつは、なんと言ったのか。最後まで俺を、俺を。
「てめ……は……俺を……殺せなかった……」
「……なに、言ってるの?」
殺したじゃないか、このナイフで、君の命を切り裂いた。君がそのベッドに縛られて、今や死後の世界で行こうとしているのだって、元は俺の仕組んだ事だ。これを、俺の仕業だと言えない理由なんて何処にも無いはずだ。
「……最後に……選んだの……は、……俺だ」
床に散らばった時限爆弾を見て静雄は笑った。
「それは……」
「は……てめえは……結局……俺を殺せねえんだな……、ほら……」
静雄が肩から手を離して、俺の顔を指差す。その手に雫が落ちるまで、気付かなかった。
「後悔、してる」
そうだろう? と、彼は言った。ああ、そうだ、悔しい。悔しいよ。俺は、俺は君を殺せなかった。
「……なら、シズちゃん。どうしたら俺に殺されてくれる?」
俺を指差していた静雄の手が落ちた。もう、支えきれなくなったんだろう。声もか細くなって、まるでキスでもするくらいに顔を近付けた。彼の瞼が降りる。教えない気か? 最後の最後まで、俺の中は君への疑問でいっぱいだ。
「……に、……」
ほとんど、吐息しか漏れていない。彼の声はもう聴こえない。唇だけで読み取った言葉を、俺は理解したくなかった。結ばれた約束を破る為にその唇を塞いだ。
マッテル カラ コロシニ コイヨ。
今まで聴こえなかったBGMが、ぴーっという音が、丁度爆弾を解除した音と重なった。
愛の誓いは殺害予告