『いたづらに 行きてはきぬるものゆゑに 見まくほしさにいざなはれつつ』
                          ―――よみ人しらず



チャイムが鳴り終わってようやく昼食だと背筋を伸ばす。昼休みは一番長いから、ページも進む。俺が机の中から本を、鞄から弁当箱を出すと丁度良く新羅が近付いてきた。

「今日すごく良い天気だし、屋上行かない?」
「寒いだろ」
「風もないから大丈夫だよ」

気温の事を言っているのか、読みにくい本の事を言っているのか。眼鏡の奥で笑った幼馴染に渋々といった体で腰を上げる。内心はそんなに嫌じゃなかった。教室だと因縁をつけられる事が多いのでどっち道、移動しようと思っていたところだ。念の為にコートを持って屋上まで行くと、からりと晴れた天気のお陰で日なたは結構暖かかった。奥の方に陣取って弁当を広げると狙ったように天敵の男が現れてぎろりと睨み付ける。

「やあ、停学明けみたいだね」
「死ね」
「素敵な会話だねえ、新羅」

こいつと話すとろくな事がない。折角の昼飯が不味くなると移動を考えたが、冬の陽気は予想以上に気持ち良く動く気になれなかった。それを良いことに臨也は俺の隣に陣取ってビニール袋から惣菜パンを出した。

「コンビニのやつ嫌いなんじゃかったのかい?」
「朝ちょっと寝坊してね、作れなかったんだよ」

その言葉でこいつは毎朝自分で弁当を作っていることが容易に予想出来、思わず臨也をまじまじと見つめる。嫌味に整った顔が一瞬不思議そうな顔をしたがすぐににやついたので眼を逸らした。

「なんだシズちゃん、俺が自炊出来ないと思ってたんだ?」
「死ね」
「医者希望としてはどうなの新羅、彼の態度は」
「まあ、2:8くらいで臨也が悪いってことにしとこうか」
「手厳しいね」

苛々しないコツは臨也の事を考えない事だ。俺は隣に座っている奴が黒い桂を被ったマネキンだと思う事に専念して卵焼きを放り込んだ。身体を新羅の方に向けてマネキンが極力見えないようにする。

「シズちゃんのってお母さんが作ってくれてるの?」
「死ね」
「あ、そうなんだ。家庭の料理って感じだね、その卵焼きさ、入ってるの塩なの? 砂糖?」
「……砂糖」
「答えてくれたね。やっぱり砂糖か。シズちゃん甘いもの大好きだもんね」

俺の肩口から覗き込むようにしてくる為、臨也が俺の耳元でパンを租借している音がよく聞こえる。こいつも飯食うんだな、と当たり前のようで不思議な疑問を浮かべる。いけないいけない、こいつはマネキンだった。マネキンに話しかけるとか俺はキチガイか。
誰でもそうかもしれないが俺は自分が箸を使って料理を取るところを人に見られたりするのは余り好きじゃなかった。不機嫌になるという程ではないが、不愉快ではある。それが臨也なら尚更で、俺は新羅からも少し身体を離すように向きを変えた。

「ウインナーたこの形だ。凝ってるね」
「……」
「今度はだんまり? 楽しくお喋りしようよシズちゃん?」
「死ね」

顔だけ振り向いて睨み付けようとしたが、思いのほか臨也の顔が近くて驚く。臨也は至近距離で視線が絡む事にさほど頓着した様子はなく、むしろ俺の視線が外れた事で好都合とばかりに俺の弁当からウインナーを奪った。

「てめっ」
「ん、美味しいね」
「臨也もあんまり静雄をからかったりしないでくれよ、なだめるの僕なんだよ?」

ウインナー一個を代償に臨也は俺の傍を離れたのでほっと息を吐く。ふとなんで俺は安心したみたいな気分になっているのだろうと首を傾げたが、答えは見つからなかったのでそのまま残り少ないブロッコリーを口に入れて弁当箱を片付けた。
臨也の話し相手が新羅にシフトチェンジしたのを良いことに、俺は二人に背を向けて本を開いた。気にするほど風はないが、やはり軽い所為でページを抑えないと少し捲れてしまう。肩からコートをかけて本格的に読書モードに入ろうとする前にいきなりぐっと肩を掴まれて身体が跳ねた。

「また本?」

その声が、随分低くて正直に驚きを顔に出す。文句が口から出る前に臨也の無表情を見た所為で、言い知れぬ寒気が襲って俺が出来た抵抗は、臨也に向かって弱弱しく手で払うことくらいだった。

「んだよ、邪魔すんな」
「シズちゃん、ずっと本読んでるけど、なに? はまったの?」
「てめえには関係無いだろ、うぜえ。死ね」

最早臨也に対する口癖といっても過言ではない暴言を吐き出して、さっきよりも強く臨也の手を振り払った。読書の邪魔をされるというのは思っていたよりも気分を害することで、周りの言葉に上の空になることが多い。といっても俺に話しかけてくるのなんて、新羅か臨也くらいだが。

「気に入らないなあ」
「はあ?」

新羅も臨也の行動は予想していなかったのか、珍しいものを見たという顔で眺めている。そんなクラスメイトを視界に捉えていると、ぐいっと顔を近付けた臨也は俺の顔に向かって囁いた。

「君が、俺以外を意識に入れて侵食されてるなんて腹が立つって言ってんの」
「……なんだって?」

日本語の意味が判らなくて俺は露骨に判らないという色を顔に出した。憎らしい笑みを崩さない臨也のはじめて見る苛立ち交じりの無表情に俺は少し気圧されていた。

「なにを期待しているの? 自惚れんなよ化け物が」

ほとんど唇がくっつきそうなくらいの距離で確かにそう言われ、俺はかっと頭に血が上った。殺す、殺す、殺す! だが俺の手には、大事な本がある。停学中にも赴いて借りた三冊目の本が。これを返しに行くのは今日だ、折り曲げたり汚す訳にはいかない。一瞬でそう考えた俺は、拳を繰り出す事が出来なかった。それが臨也の苛立ちに触れたのか、殴られるのかと思って振り上げられた手は俺の手から本を払った。

「っなにしやがる!」

公共のものになんてことを、と普段、自販機やらいろんなものを投げて壊している俺にはとても人の事を言えないが、その時ばかりは本気で心配した。臨也を蹴り殺すか、本の無事を確かめるか、1秒間臨也を睨んだ俺はすぐに後者を選んだ。乱暴に払われた割には、傷はついていなくて安心した。だが背表紙の部分が少し凹んでしまっていて、ひやりとしたものが背中と、頬に感じた。冷や汗は俺が意識で感じたもので、頬のは、恐らく、臨也のナイフだ。

「そんな紙切れが大事? シズちゃんらしくないね。君は人にも物にも愛着を持たない奴だと思ってたよ」
「……死ね!」

左腕で本を守るようにしながら立ち上がって蹴り上げた俺に新羅はやれやれと聞こえるように呟いてから「次の授業が始まるまでには帰っておいでよ」とだけ言い残してさっさと屋上を出て行った。臨也にとっては広い場所の方が有利だ。屋上は狭い訳じゃないが、走り回っても余りある、という訳ではない。此処なら俺に不利は無いとじりじり近付くが、臨也はつまらなさそうな顔をして一瞬で踵を返す。扉が近いのは、臨也。追い縋ろうとしたが、新羅が開けっ放しにしてあった扉から臨也は五段飛ばし以上しながらあっという間に姿を消した。

「くそっ……」

逃げ足なら来神高校で一番じゃねえか? と苛々を隠さずに教室に戻ると威圧感を感じ取った何人かが怯えた顔で離れていったが眼中に無い。

「思ったより早かったじゃないか」
「あいつすぐ逃げやがった」

結果だけを伝えると何故か新羅は朗らかに笑った。意味が判らなくて問うように視線を投げるが益々笑みを深くされるだけで、はぐらかされたんだと俺は顔を逸らした。

「静雄、ほっぺた、ちょっと切れてる。手当てしようか?」
「別に良い」

臨也にひたりと当てられたナイフは薄く俺の皮を裂いたらしい。それを思い出すと同時に、胸に一閃している傷の事を思い出して更に苛立ちは深まった。ちょっとの傷なら俺はすぐ治る。だけど、言葉では、俺は、小さくても傷付く。本当に小さいけど、それが積み重なれば結構なものになる。だから俺は臨也が嫌いなんだ。俺に与えられた権利すべてを、笑いながら砕くから。


「静雄、今日、本屋寄るんだけど一緒に行かない?」
「あ……わり。図書館、行くから」

俺と一緒に帰れば喧嘩に巻き込まれるかもしれないのに、新羅は状況判断が上手いから自分が怪我しない位置まで離れることが出来る。あらゆる意味で一番要領が良いのはこいつだと思う。今日もそうするつもりだったのだろうが月曜は行く所がある。

「んー、臨也じゃないけどさ、静雄って本当に読書が好きなの?」
「……藪から棒に」
「だって本の内容聞いたって『面白かった』とか『まあまあ』とかしか言わないじゃない。僕としてはもう少し具体的に聞きたいんだけど。まあ、途中まで一緒に行こうよ」

校門を出て辺りを見回したが今日は待ち伏せされていないようだ。ほっとしながら少し早足で進む。

「今ひょっとして臨也を探したの?」
「んな訳ねえだろ」
「いやあ、だってお昼休みから臨也がずっと怒ってるからさ、二人で内緒話してたでしょ。その内容の所為かなって」
「お前もセルティになりたいか」
「え、それって首から胴体が離れるってことかななななああいいいいいだああああ!!」

俺より小さい男の頭を両手で抱えて持ち上げてやる。ばたばたと暴れて泣き叫ぶそいつが憐れになって下ろしてやると肩で息をしながらハンカチで汗を拭いていた。

「ふう、あやうく骨が外れるところだったよ……」
「なら内緒話とか気持ち悪いこと言うんじゃねえ」
「だってそう見えたから……ごめんなさいもう言いません」

90度に腰を曲げて謝罪する新羅を横目に、臨也が怒ってたという単語が何処か現実味が無い気がする。あいつにそういう感情があるとは思えない。新羅と臨也は何処か似た雰囲気がある。どっちも極めて人間らしくない。新羅は言葉のままだが、臨也は欲望に忠実なところは人間っぽいが、なんというのだろう、自分自身の本能や感情を表に出そうとしないところが変わってる。本心を見せない、というところが二人の共通点だろうか。上手く言えないがとりあえず俺は臨也が大嫌いだ。

「そうだ。停学中のノート、明日貸してあげるね」
「ああ、ありがとよ」
「何なら今から渡そうか」
「面倒くせえだろ」

鞄に手を触れさせて意志を伝える新羅に俺は笑いながら軽く手を振ってその場で別れた。一人になると、一気にあの人を意識し始める自分に苦笑が漏れる。これは恋なのか、やっぱり憧れの範疇なのか、それとも、勘違いとか。初恋は小学生の時で、相手はだいぶ歳の離れた人だった。俺の事は単なる近所の子供としか見て貰えなかったけど。

「……」

その後の、終わり。俺は今以上に力をコントロール出来ず、結果は思い出すのが恐ろしい。心の中で何度ごめんなさいと繰り返したか。俺はあの人を傷付けた。
思い返せば、俺は恋愛なんて出来っこないんだ。それでも好意には甘えたいし、孤独は嫌だ。俺は、俺に優しくしてくれたあの人に自分の幻想を押し付けているだけなのかもしれない。俺と関わってもろくな事は無い。それは初恋の時に重々思い知った。あの人に好意を寄せるのが罪じゃないとしても、伝えるのは傲慢。だからこの気持ちは誰にも伝えず、俺の中だけで。
それなら何で俺はあの人に会いに行くんだろう。毎週毎週、馬鹿みたいに。

「あの、平和島さん?」

図書館の近くまで着た所でいきなり呼び止められる。控えめだから、俺の知り合いじゃない。でも聞き覚えのある声に、少し期待しながら振り返るとあの人が居た。

「え、あ」
「こんにちは」

まさか、話しかけられるなんて思ってなかった。というよりこの人は俺が怖くないのか? 呆けた顔をして挨拶を返さない俺に女性はやや首を傾げた。

「あ……人違いでしたか?」
「い、いや違います、あ、いえ、違わない……えっと、平和島、ですけど」

若干噛みながら一先ず頭を下げる。すると何故か声に出して笑った女性は面白いとでも言いたいような顔で俺を見上げた。

「月曜日ですから今日もいらっしゃるのかと思っていました」
「す、すいません」
「謝らないで下さい。……平和島さんて、噂と全然違うんですね」

たった三回しか訪れていないのに毎週のジンクスを見破られていた事よりも、喧嘩人形という不名誉なあだ名を知られていたらしい事の方が胃にぐっと来た。無意識にマフラーを巻き直すと、何かに気付いた彼女が鞄の中から小さい何かを俺に差し出した。

「怪我したら、お母さんが心配しますから」

渡されたのは絆創膏だった。俺にはほとんど無縁の代物だが、親切は無碍にしたらいけない。もごもごとお礼を言うと、穏やかに笑った女性はお先に失礼しますと足早に図書館に向かっていった。意識していなかったが、背は俺よりも大分低くて、頭が俺の肩よりも下だったか。暫く、文字通りぼーっと貰った医療品を眺めていると、ブレザーのポケットが震えたので慌てて携帯を出す。知らない番号だったが、警戒心が薄れている所為でつい出てしまった。

「はい」
『はは、なにその嬉しそうな声。幸せなのかな?』
「……臨也」
『声だけで俺だって判るんだねえ』
「なんで俺の番号」
『それは内緒話。だよ』

一瞬新羅が教えたのだろうかと思ったが、疑ったらきりが無いと諦めた。今はこいつの声が一番聞きたくない。

「何の用だ、死ね」
『さっきの人、綺麗だったね』

ついに俺の暴言を華麗に無視出来るようになったらしい臨也の言葉に眼を見開いた。すぐに後ろを振り返ったが臨也の姿は無い。

『はは、そこじゃないよ』
「てめえ出てこい、ぶっ殺す」
『彼女は21歳の大学生。豊島区に住んでて家族は父母姉と犬が一匹。理系で成績優秀、友達も沢山。ちなみに現在はフリー。良かったね』
「……お前」
『勘繰らないでよ、ちょっと調べれば判ることじゃないか。俺個人がどうこうしようって訳じゃあない』

臨也は何処から俺を見ているのか。さっきまでのやり取りも全部見ていたのか。それだとしたら反吐が出るくらいの悪趣味だ。眉根を寄せながら臨也の姿が無いか探すが、携帯越しに臨也のくぐもった笑い声が聞こえて行動が中断される。

『シズちゃんさあ、こういうシチュエーション何か思い出さない?』
「……」
『例えばそうだなー。君がパン屋の女性にけ』
「死ね!」
『図星? シズちゃんは懲りないんだね。また繰り返すんだ』

嘲るような声に携帯を破壊しそうなくらいに力を込める。あいつが一瞬でも視界に映ったら殺しにいってやる。

『“怪我したらーお母さんが心配しますからあ”。だって。あははは』

ぞっとした。会話まで、なんで。近くにいるのだろうかと再度周囲に眼を凝らしても、臨也の姿は無い。一方的に見られているのは不愉快極まり無いので近くの路地裏に走る。奥まで来た所で後ろを振り返るが誰も居なかった。

『逃げなくたって良いじゃない。それにしても傑作だよねえ、シズちゃんに絆創膏なんて必要ないのに。シズちゃんは傷付かないもんね?』

一体臨也は何処から俺を見ていたのだろうか。あんな小さなもの、よく見つけられたな。それとも、……あの人は臨也側の人間なのか? あいつの取り巻きのように。

『君にも人並みに人を好きになる感情があるんだね。人を傷付けるのも傷付けられるのも無頓着な君が』

俺が黙っているのを良い事に喋り続ける臨也に俺は心臓が鷲掴みにされたみたいに痛む。聞きたくないならこの携帯の電源を切ってしまえば良いのに。何処かで自分の贖罪を願って誰かになじられたいとも思う。その相手が臨也だというのは、かなり不本意なことだけど。

「……お前」
『なに?』
「俺が、本当に、全く傷付かねえと思ってんのか」

誰かを殴って肉の裂ける感触を感じる度に、誰かのうめき声を聞く度に。誰かに蹴られる度に、罵られる度に、俺は悲鳴を上げて血を流すというのに。

「身体の傷は確かにすぐ治る。でもな、俺だって、痛いものは痛いんだよ。苦しくてやめて欲しいって思うんだよ。てめえの言葉を否定しながら肯定する自分に嫌気が差して、めちゃくちゃになる時だってある!」

誰も居ない薄暗い場所での俺の叫びは、俺自身と臨也しか聞いていない。ああ、駄目だ。なんでだ、俺は泣きそうだ。

『……。』
「なんだよっ……」
『ごめんって』
「……は?」

馬鹿にされると思った。嘲笑って、後ろ指差して、俺を踏み躙る。なのに、今更謝られたって。俺とお前の関係になんの変化があるって言う。

『泣きそうだね、シズちゃん』
「……っ死ねよ」
『死んではあげられないけど、今回は謝っておくよ』
「てめえは何がしたいんだよ!」

踏み締められた砂利の音に振り返る。携帯を耳に当てた臨也が、あの赤い眼で俺を見る。殺してやると決めたのに、俺の涙腺がゆるくなっていて、動いたらこぼれそうだ。こんな奴の前で泣くなんて、死んでもごめんだ。

『俺は何がしたいんだろうね』

声は目の前と、耳元から聞こえてきた。一歩ずつ距離を縮めてくる天敵を睨みたくても、眼に力を入れたらそれだけでバレるかもしれない。

『自分でも偶に何やってるんだろうって思うんだよ。これでもね』

俺の目の前で止まった臨也は、今日弁当を食べたあの至近距離で見たのと同じ顔だったけど、何処か違う表情を浮かべていて俺はこいつが本当に臨也なのか疑った。

『今もほら』

臨也は携帯を折り畳むとポケットに入れる。俺の耳にかちっという音だけがしたので通話は切っていないのだろう。未だ耳に当てたままの俺に、なんともいえない顔で笑った臨也は、

「シズちゃんを泣かせたいのか、泣き止ませたいのか判らない」

そう言って、俺の腕を引っ張った。前のめりに倒れる俺を支えて、臨也の顔が近付いてくる。何をされるのか判らない。臨也の手が頬に触れる。唇と唇が、……触れる。

「……」

人生初の口付けは、視界からの情報だけでいっぱいになった。端正な顔が近い。薄く開かれた瞼と睫が綺麗だ。くっついたままの唇が角度を変える。触れたままの移動はくすぐったく、俺は暫く有り得ない状況に息すら忘れていたが、臨也の舌が俺の唇を舐めた感触でやっと我に帰ることが出来た。すぐに突き飛ばそうとしたが、予想外に臨也の力が強い。こんな力で抱き締められていたのかと思うくらい。足も上げられない、腕も拘束されている。自由なのは頭だけ。俺は思い切り頭を後ろに引いて頭突きを喰らわせた。

「っつた……!」

予備動作で何をするか予想していた臨也は頭突きの直前に顔を離した所為で思ったよりは力が入らなかった。それでもほぼストレートに直撃したからか、額を押さえて数歩後ずさる。俺の方は動悸を抑えるのに必死だった。

「はあ……」
「て、め、あ、ああああ頭沸いてんのか?」
「残念ながら沸いてないよ……にしてもいったいなあ。ムード考えなよ」
「ししししし死ね!」

袖で何度も口元を拭うが、有り得ない。今までの嫌がらせの中でダントツの首位だ。こいつは、俺が、恋愛出来ないって知ってる癖に。今までキスなんてした事無いって知ってる癖に。

「ちちち近付くな死ねよ!」

顔を上げた臨也に思い切り手近にあった石を投げたが軽くかわされる。だが目の前の男はそれ以上近付こうとはせず、そのままの表情で携帯を出すと耳に当てる。

『うん……じゃあ、また明日』
「は?」

ぷつりと切られたらしい音は右手に持っていた携帯から聞こえた。来た時と同じくらいあっさりと去っていく臨也に思いつく限りの、有りっ丈の暴言を背中に投げかけた。姿が見えなくなると、さっきよりも更にぼうっとした俺はとりあえず携帯に残った番号を消すか着信拒否するかで悩んだが、決められず結局そのまま残す事になる。
俺はほとんど無意識の中で行動し、いつも通り本の返却と貸し出しをする訳だが、あの人は今日は当番じゃないのか不在で特に記憶に残るものもなくその場を後にする。

館の入り口に来週から一週間休館という旨の貼り紙がされており、足を止める。……また今週行かないと。


ただ無意味に、行っては帰って来るのだけれど、逢いたさ見たさの気持ちに押されて、どうしてもやめられない
古今和歌集の部屋より



あいつの存在が、大きくな