最近の臨也は凄く忙しい。
毎日顔を合わせてはいるが、俺の学校も重なって会えるのは夜だけ。朝はこっそり寝室を開けて熟睡している臨也を一目見るのみで会話も出来やしない。情報屋の方と本業の方が同時に仕事を押し付けられたらしく、こればっかりは俺は手伝う事は出来ない。せめてせっせと仕事している臨也に夕食を作ったり珈琲を入れたりするのが限度で、波江もよくやってくれているのだろうけど如何せん専門知識が無いから全く判らない。
日付を越えてから三時間くらい経たないとベッドに入らない臨也を心配したいのだが、俺の我侭を聞いてくれている所為で24時間以上自宅を空けないのだ。外に出た方が早いのに「シズちゃんを独りで置いていけないから」と笑って家に居てくれている、つまり俺の所為で臨也は寝れないのにその俺が頑張れだとか大丈夫かと心配するのはちょっとお門違いなんじゃないかと、そう思う。一日くらい、いや少しでも良いから休んだらどうだ、と何度も声をかけそうになったが、結局言えなかった。だって臨也が休まない方が早く仕事が終わるから。そうしたら一緒に居られるから。なんて我侭なんだろうと自己嫌悪に陥りながら、それでも臨也の身体を心配する気持ちは嘘じゃなかった。仕事が早く終わったって、終わった瞬間に倒れたらなんの意味も無い。本末転倒というものだが、じゃあ、どうすれば良いって言うんだ。

「シズちゃん、俺ちょっと出るから」
「何処に?」

テレビはつけていたが、ずっと後ろでパソコンを打っている臨也の方に意識は向けていた。普段だったらこのバラエティ好きなんだけどなあなんて思いながらクッションを抱いていると、キャスターが動く音がする。トイレにでも行くのかなと振り返ると、臨也はコートハンガーから何時もの上着を取ると羽織ながら近付いて来た。

「所用でね。ちゃんと帰ってくるから、先にお風呂入っちゃいなよ」
「……判った」
「ん。ごめんね?」

慌しく夕食を済ませてもう九時前だというのに出かけるのか。帰ってくる時間を告げない辺り、すぐには帰れないんだろう。俺を安心させようとしたのか、にっこり笑った臨也にどうしようもなく欲を煽られた俺は、我侭放題だと理解しながらも身体を少し臨也の方に向けて背筋を伸ばし、クッションを抱いたままぎゅうと眼を瞑った。滅多にしないキスのねだり方。うわあ何やってんだ俺と思いつつ俺以上に驚いたらしい臨也は暫く間を空けていたが、やがて気配が近づいてきて唇が重なった。途端にぞくぞくと背筋が震えるから、そういえばまともに臨也に触ったのってどのくらい前だろうと、その一瞬で考えた。

「んん」

鼻から息が抜ける。そうだ、臨也に触ったらすぐにこうなるから自主的に触らないようにしていたんだった思い出した。でももう遅い。ああくそ、仕事なんて全部無くなれば良いのに。俺も学校辞めるから。べろりと舌を突っ込まれて、肩肘を張った所為で俺の腕の中にある柔らかいものが押し潰される。俺は何を持っていたんだろう、と思ったが今更臨也から顔を背けて確認するなんて死ぬほど馬鹿らしいからどうでも良い。臨也がずっと此処に居れば良いのに。全部投げ出して俺を選んでくれれば良いのに。それが叶わないって、俺はちゃんと知ってる。だけど離れるのはどうしても嫌だ。

「はぁ」

臨也の唇が離れる。薄っすら眼を開くと、すぐそこで俺の髪を掬い上げながら頬を撫でる姿があって抱き付きたくなった。

「可愛い」
「……いざや」

もっと、と強請ろうとしたら臨也はそれより先に俺の額にキスを落として俺から離れてしまう。中途半端に着ていた上着を正して時間を確認してから、その足は確実に玄関に向かってる。

「う、え?」

思わず拍子抜けした声をあげてしまった事に気付かないくらい驚いてきびきびと行動する臨也を見つめていたら、「じゃあ行ってくるね」と笑いながら手を振った。その笑みの成分は主に、9割が愛しいものを見る感情、そして残りの1割は悪意だ。付き合いが長いからこれは判る。絶対そうだ。ひらひらと蝶のように振られた手を最後に臨也は本当に出て行ってしまった。立ち上がって玄関まで追いかけ、閉まった扉を不思議なものでも見るような眼で見ていたら、ふと俺が握っていたものが臨也のお気に入りのクッションだった事を今になって思い出した。

「……あ、臨也の匂い……」

余りに急すぎたので現実味が沸かない俺は、とりあえずずっと抱いていたクッションから臨也の匂いがする事を確認して、玄関の前で首をこてんと傾げてみた。
つまり、俺はこんな、極めて中途半端に熱で浮かされた状態で置いてきぼりを喰らった訳だ。これがあいつの意図的なものなら、あれか、所謂、放置プレイ? 自分で言うのもなんだけど、俺は結構、臨也限定だが鎌って欲しいタイプなのでこれは、正直、辛い。

「……」

放置された怒りと多分俺が寝るまで帰ってこない悲しさと、未だふわふわと身体を抜ける僅かな感覚に微妙な気分になった俺はとりあえずクッションを抱えたままテレビを一度消し、それから寝室に入った。至極無意識に、かつ当たり前のように、臨也の方の。中学に上がった頃は、まだ此処で臨也と一緒に寝ていた。寝相が悪い俺は臨也を蹴り飛ばしてよく臨也を不機嫌にさせたものだ。それでも寝る時間になれば、「俺はもう大人になったんだから一緒に寝ない」と何回も練習した言葉を無駄にするくらい、臨也は優しい顔と声で俺を呼ぶんだ……。臨也は凄く温かい。理屈も何もかも流して、あったかいんだ。今ほど短くは無かった身長差のお陰で俺の身体は臨也の腕にすっぽり収まったし、どんなに素材の良い、高い抱き枕よりも俺は臨也の温もりで眠っていた。そう、此処で。皺になっていないシーツを撫でながら、俺が落ちたら危ないからと、俺に蹴られて自分が落ちてもなお、臨也は壁側に俺を眠らせてくれた。壁の方は、窓から入る月明かりからも丁度死角になる場所で灯りが無くて暗かった。その分、不安になったら臨也に抱き付けば何度でも抱きしめてくれたっけ。
一度クッションを脇にベッドの縁に置いてから布団を捲って頭から被る。さっきよりも強く、臨也の匂いがする。家事は好きだけど塵や埃が嫌いな臨也は面倒臭がって業者を入れて掃除させてるけど、毎日寝ているだけあって此処は凄く臨也を感じられる。シーツに頬を押し付けて肺にいっぱい匂いを溜めてからゆっくり吐き出す。俺からの熱が移って布団も少しだけ温かくなる所為で、まるで臨也に抱き締められている、ような。

「……っ」

あいつの匂いしかしない部屋。中途半端に浮かされた熱と口の中まで臨也の味。ああ、くそ。反応したのは俺の所為じゃない。
躊躇った。別に抜くのは初めてじゃないけど此処は臨也の部屋だ。せめて風呂場かトイレと思ったが、臨也の匂いに抗えない。臨也は居ないのにきょろきょろと確認してから恐る恐る下腹部に手を伸ばす。匂いとキスだけで、なんでこんなんになるんだ。仕方ないだろ、あのまま、てっきり、その、……抱いてくれるかと、思ったから。

「っふ……」

期待を裏切ったあいつが悪いと悪態をつきながら、手で輪を作って上下に動かす。どんなに悪口言ったって、頭の中も臨也でいっぱいなんだから意味が無い。思い思いに好きな場所を弄る、前回臨也はどうやって俺に触れてきたか考えながら。臨也みたいに巧くは出来ない。俺の手の動きは、臨也のそれだった。

「いざ、や……う、あ、ああ」

誰が聞いてる訳でもない。だけどこんなみっともない声は出したくない。そう思って唇を噛む。でも、そうすると臨也は何時も唇に指を這わせながら「抑えたら駄目だよ」と囁く。

「んぁあ……! いざや、臨也っ……!」

まるでたった今、耳元で囁かれたかのように鮮明に思い出せる。それだけで一気に感度が上がる。その後で臨也は手の動きを速めながら「可愛い声聞かせてよ」と言って、

「ぅ、んぁ」
『そうそう。ああ、眼閉じちゃ駄目』
「ひゃっ、や、ら……無理……」
『ちゃんと俺を見てよ。知ってる? シズちゃんが真っ赤になって、震えながら涙目になって俺にもっとしてって強請ってくる眼……すっごくやらしくて好き』
「ん、ばか、ぁ……して、ないっ……ん、ぁ、見るなぁ」
『嘘ばっかり。悪い子』

楽しそうに笑いながらぎゅっと根元を握ってきたんだ。今手を動かしているのは俺なのに、頭の中でトレースしているから自身で同じ事をしてしまう。一気に息苦しさを感じて涙ぐむ。解放して、って。強請っても臨也は「だーめ」と益々強く握り、ついでに尿道口を弄っていた手も掠める程度に和らげてしまった。

「や……やらっ、や、だ……」
『ぴくぴくしてる。シズちゃんして欲しくないみたいだから、良いよね? 別に』
「う、ぁ……いざ、や、や」
『聞こえない』

そう言って、思いっきり握り潰すぐらいの勢いでぐりっと指で扱いた。ひっと息を呑んでも、震えるだけで開放感なんて程遠い。快楽でがたがたと落ち着かない俺の顔中に柔らかくキスしながら耳に舌を突き入れて、何度も唾液の音を鳴らす。「ひぐぅ」と漏れた声は、触覚と聴覚を犯された事によって出たものだと臨也はちゃんと気付いてる。

「いざや、やだ……イきたい、ぃ……」

臨也の手が根元を締め上げる。でも指だけは、戒められる前と同じくらい動かされ、快楽と苦痛が一緒くたになって、思考がどろどろに塗り潰される。臨也がしてくれるキスも、もう俺から快楽を逃がしてはくれなかった。臨也の肩にしがみ付いてぼろぼろと泣きながらその眼を真っ直ぐ見る。

「も、ほんと……や、臨也、イかせてぇ……おねが……い、い、ざや」

うーんとわざとらしく唸って、考え終えたのか優しく笑った臨也は「じゃあ今日はこれで赦してあげる」と俺にキスしながら、戒めを解いて思い切り強く擦った所為で俺はすぐに吐き出しそうになった。

「あ、あ、いざやイく……臨也、臨也っ、ん、ぁあん」
「良いよ、イっても」

目の前で歌うように言った臨也は片手で俺の頬を撫でさすりながら至近距離で自分の唇を湿らせた。

「俺、シズちゃんがイく顔大好きだからさあ」
「いざ、ふぁ、あ、ぁっんんっざ、やあっ……!」
「あれ? 台本が違うよ?」

……臨也の声は、何故か目の前じゃなく、真後ろから聞こえてきた。
ばちっと眼を開けた俺は、自分の背後を覆い被さるように耳に言葉を吹き込む気配を感じてぞっとした。恐る恐る振り返ったら、予想通りそこには嫌ってくらい頭の中で想像していた男が情欲で獣みたいな眼で俺に笑いかけた。

「そこは『ばか、うるさい、ああ、いざや、すきぃ』だよ? 忘れちゃった?」
「っふわあああ!?」

なんで。なんで。何時から。何時から俺は現実と自慰の境界すら判らなくなったんだ。驚いた拍子にぎゅっと握った所為で俺はイけなかった。でもそんな事より、今大事なのはこいつだ。

「い、いつか、ら、居たっ……!」
「結構前から居たよ? 珍しいねえ、シズちゃん、俺専用のセンサーがあるのに気付かないなんて」
「なん、っで」
「ふふ、シズちゃん可愛いね。俺の部屋で抜くなんて。我慢出来なかった?」

臨也は背中に張り付いたまま腕を伸ばしてクッションを取り上げ、俺が頭から被っていたがこの最中に肩までずり落ちていた布団に触れてくすくす笑う。どれも全部臨也の気配。それにしても頭の中の臨也と会話していたのを、何時の間にか現実の本人に挿げ替えられた。さっきの臨也の台詞も、前回は俺がそう言ったからだ。

「ふ、ぅ……ば、ばか……!」

人に自分を慰めている所なんて見られて喜ぶ奴はよっぽど変態だろう。俺も例に違わず死ぬほど恥ずかしくなり咄嗟に身を屈めて隠そうとするが、後ろから伸びてきた手に逆らえなかった。くちゅりと濡れた音、同じ手なのに臨也が触っただけで弾けそうだ。

「ぁん、んっいざや」

一切の迷いもなく、臨也が未だ反応し切った状態であった俺の性器を握って強く扱く。遠慮もないし、焦らしてやろうという感じも無い。臨也が触れて10秒と経たずに俺は宣言もせず吐き出してしまった。久しぶりの所為で凄く濃い。熱が一気に体外に出てしまったようでぶるっと身体を震わせた。

「臨也……んむ」

そこでようやく臨也は疲れているんじゃないかだとか、仕事はどうしただとか、そういう発想が追いついてきて、深々と繰り返される口付けの合間に何度も問いかけるが、舌と一緒に言葉も吸われて、形にならない。
俺が臨也に触って欲しくて、匂いだけに欲情したのと同じように、こいつも俺に欲情してんだなと判った所で今日だけは良いかと首に腕を回す。クッションも布団も、オリジナルが居たら意味が無い。

「シズちゃんのイく顔、本当に可愛いよ」
「ふ……ぃ、や……いざや……」
「ん?」
「は、はぁ」

後口に擦り付けられて指が入ってくる感覚を臨也の首に回す腕に力を込める事でやり過ごしながら、上がった息遣いの中で言葉を繋ぐ。

「んっば、かぁ……」
「うんうん」
「っる、さい……な、……んん、ぁ」
「それで?」
「は……ひゃう……ぁ、ん、い、ざや、……ん、す、き……すき」
「よく出来ましたー」

続いて、低く色気のある声で、

「良い子だ、静雄」
「っ……!」

ぶわっと顔が赤くなるのと同時に、どうしようもなく嬉しくて、それで理由がつけられないくらい強い快楽の所為で俺は勝手にまた一人でイってしまった。


その内にお前の声無しじゃイけなくなるか