何事も無かったかのように立って歩いている喧嘩人形を見ると、年は喰いたくないと改めて思う。会話も無く相手を貪って、愛情は込めたが随分と乱暴だってしたのに。結局腰が痛くて動けないのは俺の方だ。
「茶、飲むか?」

一足早くシャワーを浴びてきた静雄が、上半身に何も纏わず首にタオルをかけた状態で入ってきた。無言で差し出されたグラスを手に取り、うつ伏せの状態から首だけ持ち上げて喉に通す。逆の手で手探りで携帯を探すと、日付を越えて1時間過ぎといったところだ。

「シャワーは」
「起きたら浴びるよ。今日仕事だよね?」
「月曜だからな」

短針が1時を指している事は知っているらしい静雄はそのまま俺の隣にどっかりと座り込む。やや痛んだ金髪から滴が零れ落ちシーツを半透明にしていく。グラスをサイドテーブルに置いてから、静雄が驚かないように自然な動作で首のタオルを失敬して頭に載せる。昔よりもやや短くなった頭髪をタオル越しに強く擦る。美容院に行けば再認識するが他人に髪を洗われたり拭かれたりするのは結構気持ちが良いものだ。

「悪いな」
「風邪ひかれても困るから」

そのまま首筋に垂れていた水の筋を、タオルをずらして拭き取る。今日の俺は必死だったのか、背筋まで点々と所有印の赤で埋められていて一人で苦笑した。若い時の方が、余裕というよりも色々な自信があったのに。
疲れているのか、暫く壁を見つめてぼうっとしていた静雄だったが、ふと思いついたようにベッドの下に放り投げてあった携帯灰皿を拾って軽く視線を右往左往させる。

「引き出しの中。下から二番目」
「ん」

何を探しているかなんて、毎週の事となれば猿でも覚える。俺に頭を拘束されている状態なので、めいっぱいまで腕を伸ばして引き出しを開けお目当てのものを手に取る。昔は金髪とバーテン服と並ぶ静雄のトレードマークだったもの。
一本取って火を灯し、赤く燃え上がったそこを見つめた後で、なんとも勿体付けて唇に挟む。深呼吸でもするような心持ちで肩を無意識に持ち上げる。情事の後とは関係なく艶かしい姿。

「前から聞こうと思ってたんだけどさ」

欲望が再び鎌首をもたげようとしなかったのは、常から感じている疑問があったからだ。煙草を指に持ち替えて振り返った静雄の頬を撫でながら問いかける。

「禁煙成功したんじゃなかったの?」
「週一でしか吸ってねえだろ」
「吸ってる以上、それってどうかなって思っただけだよ」

二十歳も後半になる頃、静雄は禁煙を始めた。既にヘビースモーカーの域にまで達していたが、健診でこのまま吸い続けると肺がんが懸念されると医師に言われたのが決心の元だったらしい。元々禁煙はしようとは考えていたそうだけど。
当初はニコチン切れで普段よりもかなり怒りっぽくなっていたが、慣れてくると本人曰く、あれだけ吸っていたのが信じられないらしく。しかし、めでたく禁煙1周年の時には俺がレストランに連れていってあげたというのに、日曜日になると必ず一本だけ吸っていく。此処に居ない時は知らないが、本人も一週間に一本だけだと公言はしていた。

「もう月曜だよ」
「細けえな。がっついたのはてめえだろ」

ぎろりと後ろ向きに睨まれる。煙草を吸う暇も与えないくらいに噛み付いたのは、まあ俺だから仕方が無い。肩を竦めて肯定すれば、再びフィルターを噛むように銜え込んでベッドに散らばっていた衣服を身に着け始めた。

「何で週一なのさ。禁煙したけど、また吸いたくなっちゃったとか?」
「あー……」
「教えてよ」

これといって理由は無いが、単純な興味からだった。先ほどとは違いシャツ越しの身体を後ろから抱きすくめると、面倒臭くなったのか理由を話し始めた。

「親父もヘビースモーカーだったらしくて」
「うんうん」
「色々あって週一だけ吸うようになったらしい」
「……ちょっと経過を端折り過ぎじゃない?」

それだけじゃ、どうして静雄の父親が煙草をやめたのかすら判らない。俺は静雄にしか興味は無いが、彼に何かしら影響を与えたという事はそれなりのエピソードみたいな事があったはずだ。回した腕で肌蹴た脇腹辺りを撫で上げると、やめろと小突かれる代わりに続きを話してくれる気になったらしい。

「餓鬼の頃に両親の馴れ初めを聞く機会があって、酔い潰れた親父にそれとなく聞いてみたんだよ。そしたら……まあ二人の事だから略すけど、親父はお袋と会った時からヘビースモーカーだったらしくてお袋には一目惚れしたらしい。なんだけど、お袋は大の煙草嫌いで。それを知った親父が禁煙始めて、職場のデスクから灰皿が消えたのを見たお袋が付き合っても良いよって言ったらしくて。まあ親父の主観だから若干脚色してるかもしれねえけど。それで禁煙は一応成功したらしいけど、やっぱりストレスとか感じるとすっげー吸いたくなるんだよな。そうしたらお袋が、煙草なんて全世界から消えれば良いって豪語していたお袋がだぞ、一週間に一本だけなら良いって許可したんだってよ」

言い終わって静雄は用意していた携帯灰皿に火種を押し潰す。珍しく多弁だった静雄にやや驚きながらも、幼少の頃に酔った父親から言われたものを覚えていた事を素直に感心して、ふと思いついた疑問をぶつける。

「じゃあシズちゃんが煙草始めたきっかけって、お父さん?」
「……まあな」

無表情だが、長年の付き合いから静雄が少しだけ照れているのが判る。俺は腕の力を強めて、静雄を共にベッドへ沈ませる。手を重ねれば遠慮なく指を絡めてくれる。年は喰いたくないが、時間が静雄をとかしていってくれたのなら悪くない。明かりを消してから携帯のアラームをセットして、静雄がじっとこちらを見ているのに気がついて首を傾げる。

「これは後からお袋に聞いた事なんだけどよ」

静かに言葉を切った静雄の表情は、暗闇に慣れていない眼じゃよく判らない。だけど彼の声は、僅かな興奮と期待で上ずっていた。

「なんで煙草嫌いなのに赦したんだって。そうしたら、親父の特別になりたかったんだとよ」
「……」
「確か臨也、お前、煙草嫌いだよな? ん?」

子供のような声に俺は意図が読めて、ふっと表情を崩して先ほどまで無機質な白を銜えていた唇に口付ける。

「シズちゃん、俺、あらゆる有害物質を撒き散らす煙草っていうものが世界一嫌いなんだけど、そうだなあ、シズちゃんが俺の為に禁煙してくれるなら、一週間で一本だけなら吸っても良いよ?」

口内の苦い味を俺の舌に押し付ける事で返事をしてきた。


週一解禁