「あーがりっ」
「ごめん……俺も」

眼の前に畳み重ねられたカードに、俺はこめかみがぴくぴくと動くのを感じた。

「っあー一回ぐらい勝たせろよ!」
「相変わらず、大富豪超弱いねえ」

臨也を家に泊めてから二日目の夜。まるで修学旅行のように幽と三人でトランプで遊んでいたが、ババ抜きも七並べも大富豪も大体俺が負けている。この二人グルなんじゃねえか? まあ一位はほとんど臨也が掠め取っているからそうじゃないとは判るけど。

「なんでシズちゃん、3を最後まで持ってるわけ? 絶対勝てないじゃん。革命でも起こせると思ったの?」
「3を舐めんなよ! 二枚か三枚出しすれば強えーんだから!」
「三枚出しが出来ないから、怖くないんだよ兄さん」
「四枚出ししたら逆に3が最強になるよ」

隣でゆるやかに突っ込みを入れた幽にしゅんと身を縮こまらせる。誤魔化すようにお盆に載せられたオレンジジュースを喉に通す。時計を見るともう日付を超えそうで俺はトランプを片付け始める。

「え、もうやめるの?」
「いやもう12時だし。それに明日出かけんだろ?」
「健康的だねえ。俺なんかオールとかよくするよ」

不健康だなと頭の片隅で考えながら、俺と幽は割と早寝な方なので徹夜出来る臨也を若干羨ましがったりもする。出来ない事が出来る他人はある程度憧れを持ったりするんだ。幽がどう思ったかは知らないが、散乱した雑誌やらを片付けてから先に寝るねと欠伸を噛み殺しながら出て行った。まだ中学生の幽にこの時間まで起こしているのは幾ら冬休みといえどちょっと悪かったか。

「俺、お盆下ろしてくるね」
「ああ」

母親が用意してくれた三人分のグラスを持って臨也は一旦一回に降りる。その間に俺はトランプをサイドテーブルに置き布団を敷いた。初日は客人なんだから臨也がベッドを使えと言ったんだが、何故か顔を真っ赤にして手をぶんぶん振り物凄く嫌がったので、その分寒くないようにふかふかの毛布は臨也に譲った。

「おばさんが楽しそうだな、って。でも程々にして早く寝ろって言ってたよ」
「あー、ちょい騒がしくしすぎたか」

ベッドに潜り込むと気を利かせて臨也が電気を消す。俺より若干低い位置に寝転んだ臨也はごろりと俺の方に身体を向けた。

「寝る前がこんな楽しいの久しぶりだよ」
「俺もだ。明日出かける場所、決めてんのか?」
「勿論。無難にぬいぐるみでも買えば良いのかなあ」
「ま、明日悩めば良いよ」

言いながら、俺は興奮の糸が切れて眠気が襲ってき始めていた。改めて身動ぎして寝る体勢を作り眼を閉じる。

「んー、おやすみいざや……」
「おやすみシズちゃん」
「シズ、ちゃん、て……言うな、って」

最早口癖になりつつあるそれを無意識に言いながら俺は意識を手放す。その前に、何故か臨也が上半身を起こして俺に手に触れてきたような気がしたが、気にする事なくそのまま寝る事に専念した。


朝起きると、既に横に布団は綺麗に畳まれて片付いていた。寝惚けながらまだ構造に慣れていない新居の階段を降りる。真新しい台所に母親と臨也が立っていたのでおはようと声をかければ、母親は振り返らず、臨也は首をこちらに向けて挨拶を返した。

「臨也君って本当に偉い子ねえ。うちの子になってくれないかしら」

朝食を作りながら、恐らく手伝いをしていたのだろう臨也に笑みを向けている。寝惚けた頭で、恋愛的な意味で一緒になれないなら家族になれば良いのになんて思ってしまう。

「んーそうだな。臨也、お前俺の弟になれ」
「ええー! やだよ」
「静雄より臨也君の方がしっかりしているから、お兄ちゃんになって貰うと良いわね」
「うっせえなあ」

冷蔵庫から出した牛乳を飲みながら軽く悪態をつくが、昔はそれこそ本当の兄弟みたいに一緒に居た臨也が照れた様子もなく拒否したのに少し驚いた。てっきりそれならこのままお邪魔しちゃおうかな、ぐらいは言うと思ったのに。この数年間でこいつも変わったなあと思っていると、出勤前の父親がタイミング悪く黒い冊子を俺に差し出してきた。

「静雄これ、段ボールに入ってたぞ」
「げ」
「なになにー?」

俺より先に臨也が奪ってしまった。火を使っている場所なので暴れる訳にもいかず臨也がページを捲るのを黙ってみていた。こいつがどういう反応するかも少し興味があったからだ。

「うわ懐かしい。ははは、シズちゃんご飯粒つけて走ってら。お?」

だが、臨也が例の写真を見るのは本気で黒歴史を振り返らせる事になるから、何とか後ろから奪い取った。ちらっと見てしまったかもしれないのでどきどきしながら臨也の反応を待ったが、ただ懐かしいね、と俺を見てにっこり笑うだけだった。丁度幽が降りてきた所なので台所が込み合う形となり自然と追い出された。
臨也にとってはそのくらいの認識だったのだろうか? 思い出して恥ずかしいとも思わないくらい。もしくは忘れているのか。こうなっては忘れてくれていた方が良い。

「うーん……」
「何唸ってるの? それよりご飯の用意しようよ」

無邪気に俺の肩を叩いて食器を準備し始める臨也を少しの間だけ見つめて、まあ良いかと俺も手伝いを始めた。


昼過ぎから街中に出ると、流石にクリスマス前の土曜日なだけあってカップルや親子連れでごった返していた。セールなどをやっている店もあるし、気の早い所ではクリスマスソングまで流れている。

「今年も終わりだな」

しっかりコートとマフラーを着込んで臨也と連れ立って歩き、何気無く口にした。俺の12月はまさに師走で息を吐く暇も無かった。ふと今でも最後にクラスで撮った写真を見ながら転校したくなかったなと考えがよぎる事もあったが、こうならなかったら隣にこいつは居なかったんだろうな。寒さからか若干赤くなった顔をマフラーから出している幼馴染を横目に見ると、何故か臨也も俺を見ていたらしくばっちり眼が合った。その眼がにこりと細められる。

「今年で思い出したけど、初詣も一緒に行こうよ」
「は? 俺で良いのか?」

家族と一緒に過ごさなくて良いのか、とか色々浮かぶ事はあったんだが、真っ先に口をついて出たのはそれだった。自分じゃ余りはっきりと自覚していなかった仄かな恋慕を内に仕舞いこんだばかりだった俺は、臨也が行為を寄せている女子の事をよく考えていたから。きょとんとした臨也に歯切れ悪くその事を伝えれば、とても穏やかな顔で、

「シズちゃんが良いんだ」

と笑うから、つい頷いてしまった。恋愛ってこんな向う見ずになってしまうのだろうかとぼんやり考える。ひょっとしたら、と都合よく希望を願う心を叱咤しながら。込み合う店内で肩がぶつかり、上の空なのも手伝って何度かよろける。一歩遅れた俺に、臨也がするりと腕を絡ませてきて思わずぎゅっと引っ張ってしまった。

「お、おい」
「混んでるし誰も気にしやしないよ」

そりゃあ、そうだけど。まあこれだけ近ければ兄弟に見えるかもしれないと自分を納得させて、高鳴る鼓動を抑えつけた。

「臨也、妹って何が欲しいのか希望言わなかったのか?」
「言われたけど無理難題だから却下したよ。やっぱりぬいぐるみかなあ。等身大の奴買ってあげれば文句も言わないだろ。悪知恵は働くけどまだ子供だし」

そういって、親子連れの中でも比較的年齢層の低い人たちで賑わう人形売り場まで足を運ぶ。眼に止まった俺の掌くらいのアニメキャラクターのぬいぐるみを手に取った。

「こういうのは?」
「あいつらが何のアニメにはまってるかなんて興味無いから知らないよ」
「冷てえな」

ぽふっと柔らかいそれを元の位置に戻すと、臨也が俺を引っ張る。明らかに小学生以下の女の子とその母親が客の大多数な場所で、背の高い男子高校生二人が何故か腕を組んでぬいぐるみを見ているのは傍から見れば可笑しな光景だ。現に近くにいた子供が俺を不思議そうに見上げるので、居心地が悪く臨也に耳打ちする。

「早く決めようぜ。なんか恥ずい」
「……耳元で囁かれたら俺、ぞぞってきちゃうんだけど」

臨也が何かもごもご言っているが口が逆方向を向いているから聞き取れない。最近独り言が多いが、気にしない事にした俺はそのまま奥のコーナーまで歩いてくる。値段と一緒に大きさも膨れ上がり、俺よりも大きなクマの人形が俺を見下ろしていた。

「これ買うか?」
「流石にこれは破格だね……いや値段の問題じゃなくてさ。どうやって家に入れるのさ」
「そうか」

その隣にある中ぐらいのサイズでも、小学生の女の子に持たせたら多分重すぎてとても抱えられなさそうだ。でも、その更に隣のぬいぐるみは丁度色違いのリボンを首に巻いた可愛らしいデザインで、双子の女子にぴったりだった。俺も幽が居たからよく判るが、兄弟はひとつしかないものを必ず取り合う。同じ人形で色違いならそこまで争いにならないだろう、と、同じ事を考えていたらしい臨也もじっとそれを眺めていた。

「これ、良いんじゃないか」
「まああいつらには勿体無い気もするけど、いっか」

店員を呼び付けて丁寧に包装して貰う。クリスマス用なので赤と緑の明らかにそれを判るラッピングにやや気恥ずかしくなるが、店の紙袋に入れてしまえば余り目立たない。財布からクレジットカードを出して支払いした臨也はその一瞬だけでまた腕を組んできた。もう諦めている。
自然に二つに分けられて包装された紙袋の一つを俺が持つ。嬉しそうにもう片方を持った臨也はさっきよりもぎゅっと強く腕を絡めて密着してきた。

「小さい頃からシズちゃんとこうやってデートしたかったんだあ」
「デートって。そんなもん、好きな女子とすれば良いだろ」
「……シズちゃん、この間からそればっかだねー。気になるの?」

指摘されてやっと気付く。そう言えば何度も何度もその話題ばかり掘り返してしまっていたのは、恋敵に関する情報を少しでも欲しがっていたように思えて一気に顔に熱が集まった。同時に臨也を不愉快にさせてしまったかもしれないと思って謝ろうとしたが、俺を見上げる臨也はにやにやと意地悪く唇に弧を描かせていた。

「なんだよ?」
「んーん。……それって焼餅って解釈しても良いよね?」
「なんだ? お前こそ最近独り言多いぞ。友達居ないのか」
「失礼な! 友達は多い方だよ、これでもね!」

笑いながら踏ん反り返る臨也を小突こうとするが、生憎両手がふさがっているので未遂に終わった。

「歩き疲れたな……腹減ってねえか?」
「ちょっと空いてるかも。軽くおやつにしよっか。それとも映画でも見に行く?」
「こんな大荷物で行けるか。また今度な」

それこそまるでデートみたいだ。断りながらも自然に笑みが浮かんで、少しだけ臨也と絡んでいる左腕を引き寄せる。体温が上がっているのか、マフラーを少し解きながら臨也はふと歩調を緩める俺を見上げる。

「シズちゃん俺、行きたいとこがあるからお店入って場所取りしててくれない?」
「ん? 良いけど、何か買い物か?」
「そんなとこ。じゃ……」
「臨也ー?」

離れかけた臨也の腕があった場所に風が吹き付けて少し寒い。だが完全に離れ切る前に、背後から第三者の声がかかった。俺の知らない声だったが、臨也はすぐに振り返る。

「新羅?」
「あれ? やっぱり臨也だ」

そこにはホストでも無いのに白基調の服を着た童顔の男が駆けてきていた。口ぶりからして思い当たるのは臨也の同級生だろうが、転校して一週間の俺に下級生まで把握する脳は無い。

「臨也、友達?」
「まあね。中学から同じだった奴。変人だけど付き合ってやってるんだ」
「君だってよっぽど変じゃないか。ところでこの人は? 腕まで組んじゃって」

じとりと眼鏡の奥で無遠慮な視線が俺の臨也の真ん中を見つめる。俺はそいつと完全に向き合う為にも、自分から腕を離した。

「同じ高校入ったって言ってたじゃん、例の先輩だよ。ねっシズちゃん」
「だからシズちゃんって呼ぶなって……、平和島静雄」
「ああ! ごめんよ僕は基本的にセルティにしか興味が無いから失念していたよ! 僕は岸谷新羅」

簡単に挨拶を交わした後で臨也は俺を見て、「じゃあちょっと急ぐから」と走って行った。共通の友人が居るだけの関係なのでややぎこちない間が数秒続いたが、俺と違って人見知りしないのかそいつは何やらへえと感心するような声を出した。

「臨也があんなに他人に懐いてるの見るのは初めてだねえ。幼馴染って聞いてたけど、臨也の舵取りはお手の物みたいだ」
「まあ、餓鬼の頃から一緒だったから」
「私としては臨也が悪意を持って他人に接していないのが慮外千万な事なんだけどなあ。あと……」

何故か言葉を切った新羅に首を傾げると、何だか面白いものに直面したかのような顔で笑う。笑みを浮かべると益々幼く見えて臨也と同い年には思えなかった。

「気付いてないみたいだから僕が口を出す事じゃないとは思うんだけど。臨也の表情、まるで隠して無い。というより、気付いて欲しいのかな?」
「……何言ってんだ?」
「まあまあ、沈黙は金って言うしね。俺は黙る事にするけど、あいつの自信満々で疑わない顔にパンチを入れてやりたいね。まあ、僕はセルティが居れば、なんだって良いけどね! それじゃあ失礼するよ。おせちの予約に来たのでね」

こいつは日本語を喋ったのだろうか。1割くらいしか頭に入って来なかった台詞をぺらぺら言い終わると、新羅は現れたのと同じくらい唐突に素早く人の波に消えていった。取り残された事にようやく気付いた俺は適当に近くの店に入ったと臨也に携帯でメールを入れる。
それにしてもわざわざ俺から離れて何かしたかったのか。俺は別に一緒に居て喋っていれば良かったのに、と考えた所で、俺はいよいよ本格的に臨也が好きだったんだなあと他人事みたいに感じた。やがて臨也が来て居場所を知らせる為に片手を挙げた時も、上手く笑えているか少し心配になるくらいで。

「何買ったんだ?」
「内緒」
「うわ、すげー気になる」

キープしておいたサンドイッチを口に運びながら、離れていた間の新羅の行動をざっと説明すると臨也の笑顔がぴきんと固まった。

「……あいつ」
「まあよく意味判らなかったけどな。お前、何を隠してないんだ?」
「あーうん。まあ、色々ね」

なんだか臨也に隠し事されているような気がしたが追及してもどうせはぐらかすだろうなと目星をつけた俺はふーんとそれだけで話題を打ち切ろうとした。

「あんまり新羅に眼つけられないようにしてよね」
「なんでだ?」
「あいつ親が医者でさあ、あいつ自身が解剖とかそういうのにすっごく興味あるの。生身の人間に興味持たないとは思うけど一応さ……」

一瞬解剖でカエルが浮かんだが臨也の真剣な顔で人間の方だとなんとなく理解した。だが、俺をじっと見つめる顔が余りにも真剣で、抑えようと思っていたが思わず笑い出してしまう。

「なにさ」
「っぶ、悪い、なんか笑えて……はは」
「人の顔見て笑うとか失礼の極みだよシズちゃん」

苦々しい顔でむくれる臨也に何度もごめんごめんと笑いながら謝ると少し機嫌を直したのか、それとも元からそんなに怒っていなかったのか残りのサンドイッチを俺の口元に持ってきた。

「ん?」
「あーん」
「……」
「え、なにその顔。今度は俺が笑えば良い? まあそれは置いといて。良いじゃん、やりたいんだから」
「……お前、一応高校生だよな? んな事は妹にやれ」

うっかりまた見知らぬ女子の話題を出しそうになったので、すんでのところで未だ見ぬ臨也の妹に切り替えた。臨也はそれに気付いたのか、じとりとした目線を向けてきたので仕方なく、目の前のサンドイッチにぱくりと食いついく。全部喉に通してから、混んできたので席を立った。

「帰ろうぜ。もう暗いし」

12月は思っているよりもずっと早く日没が訪れる。俺にとっては慣れていない土地だし、余り暗くなると心配されるだろう。揃いのぬいぐるみが入った紙袋を取り上げて勘定を済ませると懲りずにまた腕を組んできた。店に入った時よりも暗く、冷え込んできているような気がしたので、首と肩を動かしてマフラーの位置を微調整する。

「帰る前に寄りたい所があるんだけど」
「ん? 買い忘れか?」
「違うよ、シズちゃんと一緒に行きたいの」
「先輩って言えるようになったら行ってやらなくもない」

そこで臨也が露骨に嫌そうな顔をしたが、背に腹は変えられないのか溜め息を吐きながら承諾した。てっきり徒歩で行ける距離だと思っていたら臨也がバスの方に向かっていくから思わず腕を引いて確認を取る。

「何処行くんだよ。あんまり遅くなると……」
「大丈夫、シズ……先輩ん家からそんなに離れてないから」

何処かぎこちなく言う臨也をとりあえず信用してバスに乗り込む。俺たちの前に誰も座っていなかったのか、腰をつけた椅子のシートは冷え切っていた。臨也も同じなのか、そのまま俺の肩に擦り寄ってくる。一先ず空いた手でその頭を軽く撫でると、にこりと微笑んだ臨也が両腕を俺の腕に絡ませる。暫く揺られていたが、確かに方向としては自宅に向かっているような感じだった。とは言っても引越したばかりだから詳細な位置まではまだ把握していなかったんだが。

「なあ何処に向かってんだ?」
「なーいしょ」
「そればっかだな」
「次で降りるよ」

そう言われたので外の景色に意識を集中させると、何処かで違和感を感じ始めている事に気付く。違和感というよりは、既視感。それはバスが曲がって、看板の変わらないアイスクリーム屋を見た時に確信に変わった。

「おい臨也、此処……」

臨也はまた真剣な無表情になっていて、俺と眼を合わさなかった。引っ張られて慌てて荷物を持ってバスを降りると、閑静な住宅街に足をつける事になった。無言で歩き出した臨也に、俺はもう何も言わなかった。
5分も黙々と歩いていると、やや体温が上がってきて薄らと汗までかくようになった。何時の間にか俺の腕に絡んでいた腕は解かれ、下へ、手を繋ぎ合っているような形に変わっていた。直に伝わる臨也の体温は、俺より平熱が低いはずなのに、俺以上に火照っていた。見覚えのある屋根が見えてそこに明かりがついているのを見た時、子供の頃に戻って、今の半分しかない身体で、今みたいに臨也と手を繋いで夜道を歩いていたのを思い出した。

「俺の家……」
「今は、違う人が入っちゃったけどね」

目の前まで来ると、知らない表札がかかっていた。玄関も少し装いが違って、見覚えのない赤い自転車が置いてある。此処はもう俺の家じゃない。とすると。そう思って振り返る、そう、此処は臨也の家だ。今も昔も、変わらずそこに建っている。俺の家と違って、明かりは何処にも灯っていない。

「俺はずっと此処でシズちゃんが帰ってくるのを待ってたよ」
「シズちゃん、って……」
「ねえ、シズちゃん」

力なく嗜めようとした。だけど出来なかった。引っ張られ、臨也の家の玄関まで入る。此処だけは俺の記憶と何も変わらなかった。何年も昔、此処で臨也と別れを惜しんだのも、臨也に滅茶苦茶なプロポーズをされたのも。俺たちは成長してまたそこに立っていた。
俺と手を繋いだまま、臨也はくるりと俺に向き合う。お互いの吐き出す呼吸が白くなって風に靡いて攫われる。急ぐように姿を消した太陽の所為で、嫌味なくらい赤い夕焼けが臨也の横顔を照らしている。臨也が俺の頬に手を添える。何をされるのか、すぐに理解したけど俺は逆らわなかった。背伸びした臨也が俺にキスする。驚くほど温かい唇で。

「……いざや」

ばさり、と買ったばかりの、可愛い妹の為に得たぬいぐるみが入った紙袋が指の拘束を抜けた。俺のじゃない、臨也のが。我慢出来なくなったのか、耐えられないのか、両手を自由にした臨也が俺を抱きすくめ何度も何度も余裕の感じられないキスを繰り返す。――耐えられないって、何に。

「好きですシズちゃん。俺と結婚してください」

両肩を押さえつけられていても激しく上下する鼓動に、俺は幸福感で我を忘れそうだった。臨也がポケットをまさぐって、俺の腕を取る。このタイミングだからまさか指輪じゃないだろうな、と驚いたが、臨也の手から俺の手首に居場所を変えたのは皮製の腕輪だった。冴え渡る勘が、途中で抜けた時に購入した品がこれだと言っていた。シンプルなデザインながら、名前の知らない宝石が光って生地の裏には有名ブランドの名前が刻印されていた。

「っ……は、い」

戸惑いながらも、精一杯笑ってそう答える。瞬間、臨也に抱き締められて重心がぐらつきそのまま後ろに倒れこんでしまったが、冷たい芝生程度じゃ俺を夢から覚ます事は出来なさそうだ。
今までだったら俺よりも背の低い臨也が抱きついてくるという感覚が強かったのに、今じゃすっかり抱き締められているような感じがする。なんだよ、こいつは、

「臨也……お前、さ。覚えてたのか? 此処で言ったこと」
「え……シズちゃんも覚えてたの? てっきり忘れてると思ってた」

眼を丸くする臨也に、なんだ、気にしていたのは俺だけじゃなかったのだと嬉しくなった。ぎゅうと臨也の背中に腕を回すと、また軽めのキスをされる。初めてがこれじゃ癖になりそうだ。ふと俺は別の事を思い出して正直に訊ねる。

「お前、好きな奴居たんじゃなかったのか?」
「居るじゃん、俺の目の前に。可愛くてシャイで照れ屋で口下手だけど優しい俺のシズちゃんが」
「っ……!」

てめえ俺の事そんな風に思ってたのかと思わず睨みつけたが、その様子は臨也を微笑ませただけで「そこが可愛いんだよ」と心まで見透かされた。

「あ、あとこれも」

臨也は鞄から何か透明なものを取り出した。ラミネートされていたのは、茶色く変色しかけている花だった。押し花? と首を傾げそうだったがそれは俺が、この場所で臨也にあげたものだった。

「なんでこんな……雑草なのに」
「雑草かもしれないけど俺にとってはこれが赤い糸だったんだ。名前の通り白いけどね。シロツメ草。……というか、確信犯じゃなかったのか」

臨也も新羅も、俺を置いて一人で思考を進める傾向があるらしい。なんだよ、と口を尖らせると、臨也は実に幸せそうな顔で俺の手にあるそれを撫でた。

「シロツメ草の花言葉知ってる?」
「……? いや」
「約束、だよ。あの時に此処で一緒に暮らそうって約束したでしょ。てっきりそういう意図を含んでシズちゃんがくれたのかなと思ったのに……」

馬鹿か、俺が知ってる花言葉なんて有名な薔薇の愛くらいしか無いぞ。俺は俺で、臨也は臨也で空回りしていたのが発覚して、知らず知らずの内に笑い出していた。ご近所に迷惑になるくらい笑い続けた。馬鹿みたいだ、本当に。

「なんで指輪じゃねえんだ?」

照れ臭かったが、仮にもプロポーズなのにと遠回しに告げたら臨也は目のやりどころに困ったような顔で俺の腕を見つめる。

「いきなり指輪贈ったらちょっと引かれるかもなあ……とか色々考えてさ。それに一足飛び過ぎる気がするし。時間はあるからゆっくり俺色に染めようかと」
「付き合う前に求婚した時点で三足くらい飛んでるぞ」

俺が臨也に渡したのは何処にでもあるシロツメ草の赤い糸。なら、

「……俺にとってはこれが赤い糸になるのか」

左腕に載る新たな重い違和感。これが俺に馴染むまで、どのくらいかかるかは判らないけど。この上なく幸福感に浸った顔で臨也が俺を抱き締める。だから、時間がかかっても、良いんだ。でも現実の時間は大分過ぎ去っていて、辺りはもう真っ暗だった。至近距離の臨也の顔すら見えなくなっていた。

「遅くなっちゃったね。このまま俺の家に泊まっちゃう?」

ちゅ、と可愛らしいリップ音に誘われてこくりと頷く。俺を起き上がらせた臨也の気配がある方に、手を伸ばせばすぐに攫われる。お互い違う糸を持って。

「おいで、シズちゃん」

その言葉には握る手に少しだけ力を入れて返事する。そして、

「先輩って呼べって、何回言わせんだよ」

口ではそう言って、子供の頃と変わらない懐かしい玄関をくぐった。


切っても切れないから覚悟し