迷い込んだ先には、金の蝶が縛られていました。


白殺し 【邂逅】


幼馴染にして親友の正臣からの紹介で、引っ越してから早々僕は働く事が出来るようになった。正直田舎に居た時にはこちらの環境に適応出来るかが僕にとっては重大な問題だったので、一先ずは安心出来たという所だろう。とはいえ、此処で働きたいと言った僕に対し、正臣がかなり嫌そうな顔をしていたのを覚えている。迷惑だったのだろうかと暗む気持ちを抱えながら、忙しい日々を過ごしていた。
慣れない仕事に、予想以上にくたびれて夜は早々に寝てしまう。その分かなり早く起きれる僕は、歩き慣れていない敷地をぶらぶらと探索していた。折原臨也という男所有の広大な面積、暴露すると無駄といっても良いほど土地の広さだ。働き始めて二週間も経ったが、未だにこの領域には入っていないという場所が幾つもあったし、お屋敷に上がった事も余り無い。好奇心は大人になる前の子供が持つ特権だ。皆が寝静まっている事を良いことに、ちょっとした興味から今日も僕は土地の中をぶらついていた。

「うーん……昨日は屋敷の方だったから、今日は裏手に回ろうかな」

何度も振り返りながら、足取り軽く進んでいく。屋敷の角を曲がろうとしたら、丁度後ろから人が話す声が聞こえてきて飛び上がる。見つかればお咎め有り、と寒気がした僕はついその場を走り去る事でやり過ごすが、その所為で見事に迷子になった時は笑えなかった。


足に任せて進むにつれ、段々と空き地が目立つようになってきた。というよりも、素人の僕ではまるっきり価値が判らない灯篭や石畳、はては澄んだ池まで見えてきて、むき出しの土しか歓迎してくれなかった使用人用の敷地とは打って変わっていた。明らかに、住む人を選んでいる。

「……不味いかな」

ひょっとしたら自分は帰るつもりなのに本家の方に近付いているのやも、と冷や汗が浮かんだ。こうなったら屋敷に上がってお叱りは覚悟の上で道に迷った旨を伝え道を教えて貰おうか。決心がつかず、都合よく道が開けると願い続ける僕の足は止まらなかった。
心細さから泣きたい気持ちになってくると、遠目に小さな門が見えた。そんな門で隠さずとも奥に聳える屋敷が丸見えだというのに。まるで区切りの為に置かれているようなそれに首を傾げ、そっと門を押し開けた。

「うわっ……」

吃驚した。というのが最初の感想。そこは小さな庭園だった。ぐるりと辺りを堀に囲まれ、砂庭に芸術的な紋が刻まれていた。一目で人工的に造られたと判るが、大きな池を中心として背の低い木々が頭を垂れ、苔の生えた庭石が趣を出している。
しかし、奇妙な事があった。そんな庭園の向こうにはなるほど立派な屋敷があるのだが、一階部分に隙間なく板が打ち込まれ、まるで高い柱の上に屋敷を立てているように見える。二階にある、実質的な屋敷部分も、外界との交流を拒絶しているかのように窓枠部分には板が張られ、折角の外観が台無しだ。
怖いもの見たさに恐る恐る近付き、屋敷の玄関と思われる部分を見つめる。隙間なく、まるで中に居るものを閉じ込めるような容赦の無さでびっしり釘を打ち込まれている。一体何故こんな事を? と首を傾げた瞬間、空から声が降ってきた。

「そこの兄ちゃん。俺と遊ばねえ?」

心臓が口から出そうになった、っていうのは誇張じゃないらしい。まさにその勢いで身体全体をびくっと震わせた僕は頭上を見上げるが、そこには白んだ空しか見えない。後ずさる僕は周囲をきょろきょろと見回すが、やや間があってからまた声が聞こえる。

「此処だ、此処。上」
「え……?」

言われた通りもう一度顔を上に向けると、荒めの出格子の隙間からさっきは見えなかった人間の手がひらひらと振られる。一瞬自分の手に視線を落として色を確認してしまうくらい、その手は白かった。
打ち捨てられたように見えたその場所に人間が居たなんて予想外だったけど、上に居る人はまた一拍子開けて言葉を投げる。

「珍しいな、お前、歳幾つだ? 此処に来るのは大体二十か三十ぐらいの奴なんだが」
「っう、え? あ、えっと……じゅ、十五です」
「十五ォ? 若っけーな。紀田と同じぐらいじゃねえか」

混乱していた所為で認知出来なかったけど、その人は低い声と話し方からして男の人らしかった。しかし、どうもさっきの白すぎる手と男の人の声が合致せずに動転しつつ、聞き慣れた名前に叫び返した。

「正臣を知ってるんですか!?」
「あいつには色々世話になってるよ。あー、なんだ、お前。臨也が言ってた奴か。えーと、キリガミネ?」

僕は短時間でどれだけ驚かされれば良いんだろうか。余りにもさらりと言われた名前は、口に出す事すら恐れ多いと言われる当主その人だ。
とりあえず聞かなかった事にして僕は「竜ヶ峰です!」と出格子に叫ぶと、また言葉に間が空く。少しだけ冷静になったお陰で判ったんだけど、その後で吐き出される男の人の言葉は震えていた。つまり、この奇妙な空白の時間に彼は笑っていたんだ。

「そうだったか。にしてもお前、なんでこんなとこに居る? 見張りに捕まったら下手すりゃ死ぬぞ」
「……! み、道に迷って……! 屋敷の入り口ってどっちですか!?」
「……。俺がその見張りかもしれねえのに、暢気に出口を聞くのか。ふうん」

まるで試すような声音に怖くなった僕はどうやってそこから逃げ出そうか考え始める。すると、消えていた手がまた現れ、今度はまるで手招きするように動かされた。一歩だけ近付くと、杭で打たれた玄関を上から指差す。

「そこ、開かねえように見えるけど、実は引っ掛けなんだぜ」
「え、嘘……!?」

こんな事している場合じゃないのに、言われた言葉に僕は思わず取っ手に手をかけ、絶対に動きそうにない扉にぐっと力を込めた。予想よりも重たかったが、それでも開かずの間に招き入れられた事に驚き、ぽかんと口を開く。中は吃驚するぐらい暗く、少し奥に階段が見えた。しかしその先には暗闇しかない。

「扉しっかり閉めとけ。階段から登ってきな」

今すぐ僕は仕事場に戻らないといけないのに、こうする事が正しいと思えてきて、つい従ってしまった。そっと身体を中に居れ、両手で扉をしっかりと閉めた。灯りが入らないので恐怖心と共に若干の異臭が鼻をついたが、手探りで階段を見つけて一歩ずつ登る。一番上まで登って気付いたが、それは天井、いや、二階の床部分に到達しているらしい。行き止まりかと思って頭上の板を叩くと、少し板がずれた。構造からして下からじゃないと外せないらしい。
両手で持ち上げると、外から見た時に二階だと判断していた場所が見える。これが内装か、と思う間もなく、よじ登って辺りを見回した。こちらも風変わりな造りになっており、まず何処にも窓枠が無い。薄暗いそこを照らしているのは、壁に点在している無意味に長い蝋燭だ。怖気付きながら廊下を音も出さずに歩いていると、さっきよりもはっきりとした声が奥から響いた。

「此処」

奥から二番目の部屋にだけ灯りがともっているのを見て取った僕は慌ててそこまで走り、障子を小さく叩くと「どうぞ」と声がした。

「し、失礼、します」

無意識に背筋を伸ばして障子を開けた。多分、もう少し頭が冷静だったら、例え変わった内装でも、この屋敷がかなり身分の高い人じゃないと住めないような雰囲気を纏っているという事に気がついていたかもしれない。

「っ……」

部屋の中には、行灯がひとつしか灯りがない。その傍で、膝を立てて半身になっているのは、予想通り男だった。だけどそれだけ。僕の予想があっていたのは、男であるという一点だけだった。

最初に眼に入ったのは、異国の色。一瞬親友の顔を浮かべたが、それよりも明るく白っぽい色。紅色の、見るからに高級そうな着物を纏い、手には上品な煙管が添えられている。何より眼を引いたのはその人の顔だった。切れ長の瞳に気だるげな口元。一瞬、これは現実かと問いたいくらいの衝撃だった。こんな美しい人を、女性も含めて見た事が無い。
ぼんやりと宙に漂わせていた彼の視線が、そっと僕に向けられる。生きながら射殺されているような感覚に陥る。駄目だ、この人は。余りにも僕と違いすぎる。無様に開かれたままの僕の口を見て、それとも障子にかけられたままの手を見てか、彼の眼が細められ、そして笑った。

「座りな、竜ヶ峰」

彼の前には一枚の座布団が置かれており、此処に座れという意味だろう。でも、それ自体が僕が普段寝る時に使っている布団よりも上質なもので恐れ多い。障子を閉めて、よろよろとそこまで向かった僕は、汚さないように座布団に触れて横にずらし、畳の上で正座した。不思議そうな男性の表情が妙に艶っぽくて直視出来ない。

「どうした? 遠慮するな」
「い、いえっ、お構いなくっ」

声が裏返るのも仕方ないだろう。何もかも僕とはかけ離れている空間に居て情けなく思ってくる。平民がいきなり貴族と食事の席を共にしたような気分だ。
彼はなおも傾げた首のままだったが、深く追求する気は無いのか、指に挟まれていた煙管を口に持っていく。一挙一動さが艶かしくて眩暈がしそうだった。彼が煙を吐き出した頃を見計らって思い切って訊ねる。

「あの、貴方はどなたですか……?」

辺鄙な所に住んでいるが、此処は折原所有の土地だ。着ているものからして彼も折原の血縁者なのかもしれないとどんどん僕の肩身は狭くなっていく。彼が僕を此処に招きいれた理由も何も判らない。

「俺、か」

ゆっくりと確かめるように発音するが、男性はすぐには答えなかった。

「紀田からは、俺の事は何も聞いていないのか?」
「え……?」

目の前の彼は正臣と話題になるような人物なのだろうか? と馬鹿正直に首を傾げてしまった後で、何か返事をしないとと思った僕は「あーええっと」と歯切れが悪いが、反応からして自分を知らないと判断したのか、彼は薄く笑って言った。

「聞いてないなら良い。あいつにも思う事があるんだろう……。そうだな、俺の名は、静雄だ」
「静雄さん……?」
「名字は平和島だが、此処じゃ名乗らない。此処じゃ、ただの静雄だ。お前の下の名は?」
「み、帝人、です」

舌を縺れさせながら答えると、彼は口の中で確かめるように「みかど」と繰り返した。

「字は何を書くんだ?」
「えっと……。……帝国の帝に、人物の人で、帝人です」
「そいつぁ大層な名前だな。親はお役人か?」
「あ、はい……! で、でも、下っ端だから、そんな、お役人って言われるほどでも……」
「お前を見てればなんとなく判るよ。帝の字を当てる時にかなり悩んだからな。浮かばなかったんじゃなくて、そんな仰々しい漢字を言いたくなかったんだろう」

彼は見下す訳でも、馬鹿にするでもなく淡々と事実を述べてひっそりと微笑む。僕がおずおずと上目遣いに見ると、察してくれたのか口を開く。

「安心しろ、お前を突き出したりなんかしねーよ。紀田の幼馴染なんだろ? なら良い奴だ。俺はさっきも言った通り平和島だ。折原の人間じゃねえから怖がんな」

眼を細めて彼は傍に置いてあった火鉢に、煙管の火皿を傾けて何度か軽く打ちつける。上質なそれを漆塗りの机に置くと、僕に立つよう目線で促す。

「来な。迷ったって公にはされたくねえだろ」
「は、はい」
「外の奴に送らせる。岩石みたいに口は堅いから大丈夫だ」

そういって、静雄と名乗った青年は障子を開け、僕が入ってきたのとは反対方向に歩き出した。慌ててその背中を追おうと眼を向けると、予想以上に背が高いのに驚いた。なのに、蝋燭に浮かぶ影は怖いくらい儚げで脆かった。
彼は一枚の扉をあけて通路を進むが、無意味な長さに息を呑む。外から杭が打たれていた事からも考えて、此処は隔離されているようだ。じゃあこの人は、囚われているのだろうか? その割には落ち着いているし、正臣と親しげな様子だから、繋がらない。意を決して「静雄さんは此処に住んでいるんですか?」と訊ねると、彼は振り返らずに笑い声を上げた。

「『住んでる』。住んでる、ね……」

まるでその言葉の意味を知らないように。

「飼われてるんだよ」
「え?」
「俺は、折原臨也の飼い犬さ」

自嘲的な響きは全く感じなかった。長い廊下の奥に見える厳かな扉の前まで来ると、彼は軽く二度そこを叩いた。静かすぎる向こうから即座に返事が返ってきたのに少しだけうろたえた。

「御呼びでしょうか」
「開けろ」

その言葉に、一瞬だけ門番は迷うような息を漏らしたが、すぐに向こう側から金属音が聞こえてきた。僕はぞっとした。明らかに鍵を開けている音だ。彼は本当に、此処に閉じ込められている。
人一人が通れるぐらいの隙間を開けられ、黒い布で顔を隠した男が低い声で訊ねる。

「御用件は」
「下働きの子供が迷い込んだ。送ってやれ。内密に頼む」
「御意」

あっさりと頷き、何の疑問も持たないのかといっそ笑い出しそうになった僕の腕を、その人はとても優しいとは思えない力で引っ張る。あっという間に静雄と違う領域に引っ張り出された僕はたたらを踏むが、向こう側で腕組みをする静雄は微笑んでいた。

「帝人」
「あ、はい! あ、あの、ありがとうございま」
「また来な」
「え?」

彼は袖口から何かを出したと思うと、僕に差し出してくる。受け取ってよいものか悩んだが、そろそろと手のひらを伸ばすと、小さな数珠が手の上で跳ねた。
僕が腕を引っ込めるのと同時に、何の挨拶もなく門番はがしゃりと扉を閉めてしまった。満足に礼も言っていないのに! と門番に眼をやっても、彼は実に事務的に錠をかけ始める。その数に僕は思わず後退りした。一体、何がどうなっているんだ。

「し、静雄さん! 今度は、その、きっと、お茶菓子か何か持参します!」

まだ向こう側にいるであろう静雄に叫ぶが、返事は無い。もう居なくなってしまったのかと思ったが、暫く経ってから、まるで耳元で囁かれたかのように鮮明な声で、

「楽しみにしてるよ」

と、声が聞こえた。
門番の人が僕を引っ張り、母屋を横切って、最短距離で元の仕事場まで辿りつく。振り返っても、他の屋敷に遮られて彼の居た場所など見えない。けれど、見つめ続けなければ気が済まなかった。奇遇にも、親友である正臣も、僕と同じように此処からあの場所を眺めていたとは露知らず――とは言っても、その心境は、全く別のものではあったんだけど。




帝人を送った後に、ゆっくりと廊下を後戻りする。面白かったな、あいつ。紀田と同い年らしいけど、紀田は一つの情報から先読みし過ぎて勝手に結論を出して自滅する。だけどあいつは、純粋だ。恐らく何も知らないんだろうなあ、汚れた事を。
羽織をかけ直し、思うところがある俺は先ほどの居間ではなく寝室に向かう。煙管は向こうに置いてきちまったが、まあ、良い。一番のお気に入りは何時も寝室に置いてあるしな。俺のお気に入りは、あいつのお気に入りでもある。
敷きっぱなしの布団に、まるで見せ付けるようにゆっくり腰を下ろす。黒塗りに朱色の紋が入ったお目当てを手に取り、喉の奥からくぐもった笑い声を唸らせる。可笑しくて堪らない。全く、俺の飼い主は、どうしようもなく醜い心をお持ちである。

「どうして見す見す逃がしたんだ?」

襖で仕切られた隣の部屋に声を投げれば、すぐにくすくすと笑い声が響いた。

「迷子になっただけの男の子を殺すほど俺は悪人じゃないよ」
「どの口がそれを言うんだか」

帝人が此処に来る前から居座っていた癖に。わざと知らない振りをしてきたが、こいつも姿を現す気は無かったらしい。襖が開けられ、無遠慮に入ってきたそいつに一瞥もくれてやらない。

「ねえ、さっきの本気? また来いって」
「俺は冗談は言わねえよ。なんだ、不都合があるのか?」
「若けりゃ誰でも良いのかな? ふふ、あの子……見た目通りの純朴そうな性格してるけど、なんか引っかかるんだよねえ。面白い」
「お前がそう言うなら、そうなんじゃねえの。それより、臨也」

布団に寝転がって、上目遣いに挑発してやる。にぃ、と奴の口元が曲がった辺り、その気にはなったようだ。

「お前がくれた数珠、落としちまった。さて、どうしよう?」
「悪い子だなあ。誰彼構わず足を開こうとするシズちゃんが懲りるように願掛けしてあったのに」
「二週間振りだ。楽しませろ」

帝人は所詮暇潰しだ。
俺みたいな奴には、この外見も中身も真っ黒なくらい癖のあるこいつの方が扱いやすい。はいはい頷くだけの子供は退屈だ。

「言っただろ? 精々退屈させるな、って」

俺にとってはあの子供も、余興のひとつだ。


賽は投げられ