「あ、これ新発売のじゃん。一口頂戴よ」

その時点では極めて何気なく言った言葉だった。

新羅達はクラスでの役割があるだとかで今日の昼飯は先に食べててよ、と言い残していた。俺はそれでも構わなかったんだが、必然的に二人になったこの状況は向こうにしては少々気まずいらしい。
さっきからそわそわと居心地が悪そうで、誰も居ない運動場をちらちら眺めたり、パンの品質表示を熱心に読み直して頑なに俺の方を見ようとはしなかった。

「シズちゃんさ」
「な、なんだよ」

話を振られた時の台詞を用意していたのかしていなかったのか、すぐさま反応して仰け反る。口の中に頬張ってあるパンを租借しない所を見ると、俺の言葉に全神経を集中しているのが伺えて笑えた。

「そんなに緊張しなくても良いじゃん」
「してねえよ、馬鹿」

静雄は自分の口の中に食べ物があるという事を漸く思い出したのか、ゆっくりと顎を動かした。吃驚するぐらい何度も噛んで、途中からは歯が擦れる音しかしなくなっているという事に気付かないのだろうか。
見晴らしの良い屋上で地べたに座っている訳だが、俺は近くにあったお茶を喉に通してからにこりと笑った。

「照れなくても良いよ」
「誰が照れるか!」

付き合い始めてから、何かと新羅達と一緒に居る事が多くて二人きりにはなってなかった。俺は別段気にする程でもないけど、何処か純情思考の静雄にとってはかなり恥ずかしい事なんだろうか。
此処で気まずい思いをするよりはと思ったのか、静雄の咀嚼する速度がかなり速まった。ああ、さっさと食事を終わらせたいんだろうな。俺が目の前に存在しないものとして掻っ込む姿を眺めていると、ふとビニール袋の外に出ている缶ジュースに眼が留まった。
極めて自然な動作で俺はそれを掠め取ってほとんど口のつけられていない中身を喉に通した。CMで話題の、なんていう名前だったか。噎せたくなるくらいの甘ったるさに思わず眉を顰め、缶の縁に付着した残滓を舌で舐め取り、パッケージに眼を走らせた。

「チョコレートキッス?」

安直な名前だなあと半ば呆れながら缶を元の位置に戻す。静雄が小刻みにぷるぷると震えていると気付いたのは、そこから目線をあげてからだった。

「は?」

まるで牛乳アレルギーだと公言していた友人が自分の目の前でホットミルクを一気飲みしたのを目撃した事に衝撃を受けたとしたら、こんな顔になるのだろうか。きゅっと唇は結ばれ、眉は吊り上って切れ長の瞳には薄っすら涙の膜が見えた。全体的に、そう、目元から耳まで真っ赤になっているのは見間違いじゃないはずだ。

「シズちゃん?」
「……お、まえ……それ、俺の……」

それ、とは、勿論それである。静雄がちらっと視線を向けた先には俺の手があり、その手には正直不味かったという感想を持ったチョコレート飲料がある訳で。
そんなに飲まれるのが嫌だったのか、心の狭い奴だなあとは思わず俺は罪悪感に襲われ縺れる舌で「ごめん」と言った。その後にもフォローを入れるべく、

「いや一口しか飲んでないんだけど、その、あれだったら新しいの買ってくるからさ」

内密とはいえ一応お付き合いをしている関係で、しかもまだ結ばれてから2週間も経っていない。こんなに早く亀裂を生むのは俺としても不本意だ。
だけど静雄は俺の言葉にぶんぶんを首を横に振る。つまり、否定。なんだ、飲んだことには怒ってないのか? 首を傾げた俺に対し、静雄は言葉が落ちていると言わんばかりに床に視線を落とし、たっぷりと間を空けてから言った。

「お、俺の……飲みかけ、だぞ」
「……? で?」
「で、って、……で、じゃねえだろっ!」

口をぱくぱくさせている静雄、秀でた読唇術を持っている訳じゃない俺だけど、「か、か」と形作っている唇を見て納得行った。

「間接キスが嫌だったの?」
「っ……!」

いや、俺としては、一切の後ろめたい気持ちも無しに気軽に口をつけただけだったんだが、静雄にとっては違うのか。この分じゃ、回し飲みもした事が無いのか?
変な所で汚れていない初々しい恋人ににまりと笑みを浮かべてにじり寄る。ぎょっとした静雄は身を引こうとするが、金縛りにでもあったようにその場から動かない。身体を乗り出して瞳を覗き込むと、まるでキスする寸前のような体勢に静雄がまたもやぷるぷると震えた。純粋な恐怖というより、未知への恐怖か。

「まだ、しないよ」

紳士な俺は未だに一線は越えていなかった。とはいっても、最近は結構厳しくなっているけれど。肉感のある唇から視線を外し、力が入りすぎて白くなっている手を取り、指の関節にキスを落とした。真上にある静雄の表情がこれ以上もないくらい赤く染まる、たかがこれだけでこんな初心な反応をされると、少々困るんだけどな。

「ま、まだ、って、何を」

漸く言葉を口にした静雄が当惑したようにそう言う。そのまま俺に握られていた手をさっと後ろに持っていってしまう。手持ち無沙汰になった手を持ち上げ、そっと静雄の唇を指でなぞった。

「此処のことだよ」
「ぅ……」
「お望みなら今すぐにでも」

まあ無理だろうと俺が上体を戻しかけたら、ぐっと腕を握られて阻止される。変にバランスを崩した俺がやっとの事で視線を上げると、やけくそ気味に静雄がまるで噛み付くように言葉を滑らせた。

「したきゃ、か、勝手にすれば良いだろっ」
「っ……!?」


お誘いは唐突