絶賛五月病に陥った俺は黄金週間で惰眠を貪った。学校で神経を張る事も以前ほどでは無くなり、気の抜けた四月末。相変わらず喧嘩を売られる事もあったが、最近じゃ面倒臭くなった俺が要領よく逃げ回るので拳を振う事が少なくなった。実に良い事だ。
気だるげに起き上がり、寝癖のついた痛んだ金髪を撫でつける。家に自分一人の気配しかなくて首を傾げるが、そういえば臨也も波江も仕事で外出するんだと思い出す。寝間着のままリビングに出ると、ラップをした朝食が並んでいた。
顔を洗ってから孤独な食卓に着く。二人の職業柄特別珍しい事ではなくて何の気なしにテレビをつける。遅いニュース番組に眼を通しながら黙々とベーコンエッグに箸を付けていると、インターホンが鳴った。

「……?」

臨也が不在時にチャイムが鳴るのは珍しい。取り巻きは大体先に連絡を入れてくるし、得意先も同様だ。たくあんを頬張りながら面倒ながら腰を上げた。
画面の前には瓜二つな顔が、片方はにっこりと、片方は暗く覗きこんでいた。

「……誰だ?」
『こーんにーちはー! その声静雄さん? 静雄さんだよね!? 久しぶり、覚えてる!?』

眼鏡の少女の声が甲高く耳を劈く。姦しさに思わず顔を顰めるが「久しぶり」という単語に記憶を馳せる。
臨也にそっくりな赤い瞳。あ、と言葉を漏らすと少女が嬉しそうな声を上げる。

『マイルだよー!! 折原舞流! イザ兄の妹の!!』
「ああ……思い出した。どうした、臨也は居ないぞ」
『えー!! 今日遊びに行くって連絡したのに!! なにか聞いてなーい?』
「いや、特には」

昨夜の様子を脳裏に浮かべてもそれらしい事は言っていなかった。だが思考をすぐに中断して俺は懐かしい顔に想いを馳せる。臨也の歳の離れた実妹、折原九瑠璃と折原舞流。最後に会ったのは彼女らが小学生の時だったか。初対面の時はいきなり臨也に抱きつきながら蹴りを入れていた二人にぎょっとして部屋に隅に隠れた。その後で、臨也から話を聞いていたのか、人見知りもせず俺を探し出した二人に色々遊ばれたのだが、特別不快感は湧かなかった。多分幼いゆえに、臨也と似た顔に安心感を覚えたんだろう。とはいえ臨也の女バージョンみたいな存在だから、昔はやや苦手意識を持っていたんだが。

「上がるか?」
『良いのー!? 嬉しい! 外暑いからクーラー当たりたいんだよね!』
からだ……ひやすのだめ……』

昔より更に根暗に磨きがかかった双子の姉がぼそりと言う。すぐ傍にあった温度調整のパネルを操作して冷房をやや緩める。外に出ない所為で気温が判らないが、此処は常に20度前後の快適さを保っている。

「ほら、ロック外したから」
『ありがとー!』
『……ありがとうございます……』

舞流はすぐさまエレベーターの方に駆け出し、九瑠璃はぺこりと頭を下げてから画面から消える。身内の妹だからって寝間着は失礼か、と変に律儀な俺は二人が上がってくる数分間で急いで着替える。中学生だから珈琲は飲めないだろうからココアを用意する。氷を入れてうっすら水滴の膜を張るそれをリビングに持っていくと玄関が開いた。

「お邪魔しまーす!」
おじゃまします……」
「はいはい」

兄の自宅ゆえに迷う事もなくリビングまで辿りついた二人を眺める。随分と背が伸びて女らしくなった。目元がますます臨也に似ている。10近く歳が離れているのに此処まで兄妹とは似るものなのだろうか。同じ事を考えたらしい舞流が俺を指差した。

「静雄さん、すっごく背伸びたね! しかも超イケメンになってる!」
「そうか? てか、褒めてもココアしか出さんぞ」
「お茶は出してくれるんだね! 優しい!」
あさごはんのとちゅう……? ごめんなさい……」

そそくさと椅子に座る舞流と違い、食卓に並んだ料理を見て九瑠璃がまた頭を下げる。別に良いよと告げ、座るよう促す。アイスココアを啜る二人を眺めながら俺は冷めたパンを頬張る。それにしても約束はたがわない臨也が、妹という存在感の強い二人の来訪を忘れるだろうか? 仮に仕事で在宅が不可能になったのならその旨を俺に伝えるはず。

「お前ら、まさか臨也に連絡してねーのか?」
「したよ? あ、でも『来るな、ふざけんな』って言われたから冗談だと思われたかも」
「なんだそりゃ」

笑いながら牛乳で押し込む。基本的に臨也に近付く他人については俺は警戒心が強い。新羅やセルティも同様だったが、俺と歳が近く何より俺を慕う二人に対しては好意を持っていた。俺の妹みたいなものだし。昔、「イザ兄より静雄さんの方が好きだよ!」とまで言われた時は正直嬉しかった。とはいえその時は肉親も大事にしろと嗜めたんだが。
テレビに眼を向けると、ゴールデンウィークの特集が行われていた。人ごみが苦手な俺は大型連休で家族連れが多い街中を歩くのは嫌で、遠出もした事が無い。臨也と一緒なら旅行も良いけどなあなんて考えていると、舞流は急に鞄を漁り包装された袋を取りだした。

「なんだそれ?」
「え? 静雄さん、明日なんの日か知らないの?」
「明日?」

頭の中で今日の日付を確認する。連休だと曜日感覚が狂うので携帯で目視確認する。すぐにぴんときた。

「臨也の誕生日」
「せいかーい!!」
「なんだ、ちゃんとプレゼント買ったのか?」
「勿論、恩を売る為だよ!」
わたしたちのたんじょうびに……たかいものをかってもらう……」

この二人らしい。見返り目当てとは、少しこの三人の兄妹関係を疑うが、普通じゃないのは理解している。改めて記念日だと言われると俺も何か贈った方が良いのかもしれないと腕を組んだ。毎年、臨也の誕生日には俺が料理を作ったり、仕事で疲れた臨也をマッサージしたりと肉体的奉仕が多かった。バイトしていない俺には自由に使える金が無いからだ。とはいえ最近では、外に出る事もあって小遣いと称して万単位で貰っていた。そしてほとんど使っていない。今年なら何か買えるかもしれない。

「俺も何か買おうかな」
「静雄さんに買って貰ったらイザ兄、すっごい喜ぶよねクル姉! 私たちが買ったの捨てちゃうかも」
それでもおかえしはもらうけどね

甲高く話す二人を見ながら考えを巡らせる。人間に対しては欲深な臨也だが、物欲に関してはそうでもないように思える。高級ブランドのティーカップを俺が不注意で割ってしまっても大して気にした風も無くすぐに捨ててしまった。ブランド志向という訳でもなさそうだが、俺に買い与える服や財布は大抵ひとつで万を超えている。学校で机の上にぽんと置いたままの俺の財布を見てクラスメイトたちが「普通の高校生が持つブランドじゃない」とぎょっとしていたのを覚えている。そこらについては疎い俺が首を傾げたのは言うまでもない。幾らなんだと聞かれても「さあ?」としか言えなかった。
だから俺がブランド物を買うのは正直賢いとは思えない。どれがどれだか判らないし、臨也の好みもこればかりは関知していない。かといって何を買えば良いんだろう。唸り始めた俺に四つの眼が向けられた。

「どうしたの?」
「いや……臨也って何を欲しがるんだろうと思って」
「……きいてみたらどう……?」
「なんかこういうのは本人には知られたくない」
「サプライズってやつだね!」

眼を輝かせた舞流が机に乗り出した拍子に袋が動く。

「お前らは何買ったんだ?」
「ネクタイピンとバックルとベルト。イザ兄には勿体無い出費だよね!」

装飾品の類か。盲点だったな。でも臨也ってピアスホールとか空いてないし、指輪はもうしているし。俺が贈れば喜んで耳に穴をあけてくれるだろうけどあれって痛いって噂だし……。妹と被ったら、これは自慢でも自惚れでもなく、俺が贈ったものを身につけるだろう。嬉しいけど、それは二人に悪い。幾ら見返り目当てと公言しているとはいえ、実の兄にきちんと自腹で買う辺り愛情は持っているはずだ。それにある程度は喜んで貰えるように考えて購入したはず。その時間も兄への想いも無駄にはしたくない。考え直すと臨也に構う人間で、俺がこれだけ臨也との接触を赦しているのはこの二人だけだった。これがもし紀田だとかだったらそのまま物を潰すだろうから。

「うーん……」
まだきまらない……?」

考え過ぎて頭から煙が出そうになっている俺にいきなり舞流が表情を明るくする。

「じゃあ一緒に選んであげる!」
「は?」
「静雄さんって今でも引き籠ってるんでしょ? 買い物に付き合ってあげる。一人じゃあれだけど私たちと一緒ならイザ兄も怒らないし!」
「い、いや、今は高校行ってるけど」
「うっそ!! よくイザ兄赦したね?」

九瑠璃も眼を丸くしている。この二人は臨也の俺への執心振りを目の当たりにしている為に衝撃も強いんだろう。その割に兄が見ず知らずの男と同居している事についてつっこみを入れない辺り、この二人も臨也の妹だ。

どうりで……ひやけしてるんだ……」
「あ、そういえば。昔は幽霊みたいだったもんね。なら余計に良いよ、何か買いに行こう!」
「でも、悪いし……」
「固い事言わないで! 静雄さんとデートしたいし!」
ひとりでなやむより……いっしょに……」

確かにこのまま俺だけで考えても答えは見えてこない。それに外に慣れ、流行も判る二人の存在は心強い。色々なものを眺めていたら案も浮かぶかもと頷いた。大袈裟にやったーと両手を上げる舞流に思わず笑みが零れる。そんなに嬉しいのか。

「じゃあ早速出かけようか!」

性急な舞流が席を立つ。一度部屋に戻って財布と携帯を持ってから玄関で待つ二人を追いかける。俺も浮足立っていたから、書き置きを残すのをすっかり忘れていた。


「静雄さんみたいにかっこいい人と並んで歩くなんて、憧れてたんだー!」
「言ってろ」
「ふふん。で、静雄さんは何か希望ある?」
「うーん……」

俺の両脇を固める二人が見上げてくる。希望、と言われても中々浮かばない。歩きながらショーウィンドウを眺めてもいまいちぴんと来ない。臨也が欲しがるもの、欲しがるもの、と何回も考え、やっぱり装飾品が良いだろうかと結論に至る。サイズが判るから靴とか。新しいジャケットとかも良さそうだが季節感が無いよなあ。じゃあスプリングコートか。

「お前らはどういう基準で選んだんだ?」
「えっとね、イザ兄ってアンティークチックなものとか好きだから、割と観賞目的にも出来るやつを選んだかな。フォーマルには合わないけど、バックルは見た目重視したし」

意外に考えているんだな。「イザ兄には勿体無い」というけど、この二人は普通に兄が好きなんだろう。俺の方が好きだと言っているけど何処まで本当なんだか。
それにしても余計判らなくなってきた。アンティークなんて俺には判らないし。

「そんなに難しく考えなくたって、イザ兄は静雄さんからの贈り物なら生ごみでも喜ぶよ!」
「いやそれは流石に無いと思う」
たべものは……?」
「消耗品だろ? それじゃ今までと同じような気がするし」

第一臨也は甘いものが好きじゃない。

でもしにせのものなら……おいしいとおもう……」
「老舗の銘柄かー、それなら一緒に食べられるしね!」
「でも俺、そういうの判んないし」
「その為の私たちだよ!」

にぱりと無邪気な笑みに背中を押される。それに微笑み返して携帯に眼を落とすと、12時を回ろうとしていた。

「ついでに何か食うか?」
「食べるー!」
どこか……きっさてんでも……さがす……?」

朝食が遅かったから俺はそれほど腹が減っていない。だから二人に合わせるかと頷き、少し込み合う喫茶に足を踏み入れた。軽食が多い場所なら俺でも何か口に入れられる。
早速メニューを広げ始めた二人に向かいあって座す。昼食なのにデザートのページに眼を走らせる二人に苦笑した。

「こらこら、お菓子はまだだ」
「えー、でもお金厳しいもん」
「奢ってやるから好きなの喰え」
「ほんと!? やったあ!」

言うが早し、メインメニューに切り替えた二人。現金だなあと微笑ましい思いで眺める。5万近く財布に入っているからかなり余裕がある。俺も適当に眼をつけて店員を呼んだ。

「ハヤシオムライスとツナサラダくださーい」
ナスのカルボナーラ……」
「チョコレートプリンパフェ」

見事にばらけたな。この二人、何でも正反対にしたがるけど好みまで別れるのか。ぱたんと閉じたメニューの向こうで舞流が眉を寄せた。

「あー、静雄さんこそお菓子!」
「俺は喰ったばっかだから良いんだ」
「しかも超甘いじゃん! 意外ー!」

おしぼりで手を拭きつつ久しぶりの外食に高揚感が高まる。舞流は手に持ったグラスに入った氷水を揺らしながら、何故かにやにやしながら俺に詰め寄る。

「静雄さんってー、イザ兄のこと好きー?」
「なんだよ藪から棒に」
「だって昔から、割となあなあで生きて来た感じがするけどイザ兄の事になると真剣になるから。イザ兄も外道だけど静雄さんには優しいしねー」

舞流の隣で九瑠璃も頷いている。この二人の中での俺と臨也はどんな存在なのか、またどう思われているかはようと知れない。性格も臨也に似て何処か悪戯気質な二人。また女だというのもあって臨也以上に心が読めない。邪気が無いかと思えば自分を襲ってきた不良に対し容赦なく後遺症が残りうる一撃をお見舞い出来る。

「まあそりゃ、好きだけどさ」
「イザ兄も静雄さん大好きだよね! 高校生くらいの時にいきなりイザ兄が家を出た時はちょっと吃驚したもん」

死にかけていた俺を拾った臨也。とはいえあの時の臨也はまだ未成年だった。それなのに家族で住む自宅では無くわざわざマンションを借りてそこで俺と生活していた。まるで折原家の誰にも俺を接触させたくないとでもいうように。間もなく高校を卒業した臨也は現在の住居に住まいを変えた。思えば、臨也や二人の両親は仕事で海外に居る。そんな幼い九瑠璃と舞流にとって臨也は唯一の保護者だった。それを俺が奪った。悪意があった訳もなく、知らなかった事とはいえ。

「……悪かった。お前らから、兄貴を取り上げて」

突然表情を暗くした俺にきょとんとした二人だが俺は気分が落ち込む。ひょっとしたら二人が歪んでしまった原因は俺にもあるかもしれない。両親が居なくても兄が居れば、肉親の温もりに寂しさを覚えなかったかもしれないのに。

「俺とお前ら、歳そんなに変わらないのに、俺ばっかり……。本当に、悪い」
「え?」

俺が九瑠璃と舞流にそれほど嫉妬心や妬みを抱かない理由が判った気がする。無自覚だったが、頭の何処かでそういった罪悪感があったんだ。怨まれてても仕方ないのにこの二人は俺を好いてくれている。

「そーんな、気にする事じゃないよ? 別にイザ兄が居た時だって大して変わんなかったし!」

笑い飛ばす勢いで明るく言われるが、それもそれでどうかと思う。不思議そうに首を傾げる俺に舞流は全く別の事を言う。

「それより静雄さんもイザ兄ばっかり構ってないで、好きなアイドルの一人や二人作ったら!?」
げいのうじんとか……きょうみない……?」
「あんまテレビとか見ないから……。でも好きな歌手とかはちゃんと居るぞ」

慰めてくれるような二人の言葉に癒される。舞流は再び鞄を漁り始めるがすぐにがっくりと項垂れた。

「あーん、幽平さんの写真集置いてきちゃったあ! クル姉持ってない?」
ううん
「静雄さんにも見せてあげたかったなあ、私たち羽島幽平って人の大ファンなんだよ! 今度見せてあげるね!」
「ふうん? 芸能人か?」
「どっちかっていうと俳優に近いかな! まだ子役だけどね」

何処か常識を逸脱している二人だが、有名人に熱を上げる辺りは普通の女の子らしい。それに少し安心するような溜め息を吐くと、ようやく料理が到着した。豪快にサラダとオムライスを食む舞流の横できちんとスプーンで纏めてパスタを口に入れる九瑠璃。こういう所でも差が出るんだな、多分一卵性双生児なのに。
ちまちまとアイスの城を崩していく俺に舞流が微笑んだ。

「静雄さん、食べ方かわいーい」
「ほっとけ。お前はもう少し上品に喰え」
チョコがすきなの……?」
「チョコも好きだけどプリンが好きだ、俺は」
「へえー」

びりびりと冷える舌を休ませながら、冷凍を急いで解凍させた感が否めないプリンの形を崩した。味を確かめながら食べる事に集中していると、突然、カウンターの方を見ていた九瑠璃が口を開いた。

あの……、とけいなんてどう……?」
「何が?」
「イザ兄のプレゼント? 確かにアンティーク好きだもんね、そうだ置き時計なんてどう!?」
「時計、か」
「駅の近くに硝子細工で出来た時計売ってるお店知ってるよ」

確かに、身につけるものじゃなくても、生活に必要なものなら良いかもしれない。仕事場のデスクに置くにしろ寝室に置くにしろ、見た目が美しいものなら気に行ってくれるかもしれない。ブランドじゃなくても、万人が綺麗だと感じるものなら嬉しい。
どうも九瑠璃は時間を確認した際に時計を見た時に浮かんだらしい。暗い無表情に僅かに笑みが差していた。

「そうだな……、じゃあ、案内してくれ」
「うん! お昼代分くらいは働かせてもらいまーす!」

笑顔を振りまく舞流に急かされ、急いで慌ただしく昼食を終える。目当てが決まると足取りもしっかりしたものになる。15分ほど歩いた先にある、古風な趣の店内に舞流たちは迷わず入った。未知への不安を僅かばかりだが感じた俺はそっとドアを引いて先の二人の後を追う。ぐるりと眼を回すと、ログハウスのような店内に所狭しと時計が並んでいた。こつ、こつ、と揃っていない、いびつな不協和音に呑まれた俺は思わず息を呑む。
傍にあった一つを覗きこむと、小さな内部に振り子がついて、それに合わせて秒針が時を刻む。透明の硝子の中に時計盤が埋め込まれただけのシンプルなものから宝石のついた華美なものまで。思わず手にとって眺める、神秘的な美しさだった。

「硝子時計、……か」

老舗店だからか、それとも硝子時計だからか、値段も少々高い。今俺が手に持っているものは余裕で5桁を突き付ける。だが臨也への感謝を込めるんだったら6桁でも行けるぞ、と意気込む。しかし財布にはそこまで入っていない事に気付き、全額持ってくれば良かったと少々後悔した。

「綺麗だねクル姉! 私も一個欲しいなあ」
すぐこわすからだめ

遠くから二人のそんな会話が聞こえる。どうやら店員は女性である二人に的を絞ったらしく、双子が声高に店員と話し込んでいた。ぽつんと佇む金髪の俺はむしろ好都合だとゆっくり眺める。
そこで一つに眼を奪われた俺は音も無く近付き持ち上げる。見た目よりも重いそれ。薄く赤みの入った正方形で、極々シンプルなものだった。特徴的なのは針で、まるで鍵のような形をしている。観賞するだけで魅入るそれの値札に眼を落とすと予算内。

「静雄さーん、決まったー?」
「おう」

店員を振り切り、二人が後ろから覗きこんできた。同時におお、と感嘆の息を漏らす。二人が良いというなら大丈夫だろう。レジまで行くと、タイミング良く舞流が「プレゼント用に包装お願いしまーす」と明るく告げる。そういうサービスがあるんだと滅多に買い物しない俺は感心する。他に客が居ない為、店員の手付きもゆっくりと丁寧だ。

「男の人にあげるのでクールにしてください!」

と、また後ろから口を出す。店員が出そうとしていたラッピングは確かに女子向きなものに見えた。俺が買ったからてっきり彼女にでもあげるものだと思ったんだろう。失礼しましたと慌てた女性店員が中から青とシンプルなリボンを出す。全体的に華美ではなくこざっぱりとしているのは臨也らしい。
割れないようにしっかりと衝撃吸収のカバーで包まれ、紙袋に入れて渡された。ありがとうございました、と告げる店員の声も弾んで明るい。俺の財布は見事に軽くなった訳だが、心も晴れ晴れとしていた。喜んでくれるだろうか、臨也は。今日は夕方には帰るはず。

「静雄さん満足出来た?」
「ああ、二人ともありがとな」
「ううん! とっても楽しかったよ!」
うん……またきたいね……」

隣で舞流がスキップを刻む。思えば街中に出たのに今日は誰にも絡まれずに済んだ。良い事だらけだ。
真っ直ぐ自宅に到着しつつ今日の感想を声高に話し合う後ろの二人に微笑みを浮かべながら、俺も満足感を噛み締めながら目的の階までのボタンを押す。重力に身を任せ、臨也はどんな反応をするだろうと僅かに興奮してきた。何か菓子でも食べてゆっくりして行けよ、と言いながら玄関のノブに触った瞬間、気配が動く。

「あれ……臨也、もう帰ってる」
「……やっぱりー?」

舞流の苦笑いに近い落胆の声が聞こえる。何で判ったのかはあえて聞かずに中に入った。

「ただいま」

返事が無い。前みたいに無視されたか? と首を傾げつつ靴を脱ぐ。事務所まで辿りつくと、昨日の夜ぶりに見る臨也の姿に一気に嬉しくなって飛び付きそうになるが、双子の手前だから我慢する。紙袋を持った俺の後ろから妹の姿を見つけると臨也が心底嫌そうな声を発した。

「何処行ってたの?」
「え、……買い物」

当日は明日だから、前日に「お前の誕生日プレゼントを買っていました」なんて言える訳が無い。正直に言いそうだった口を無理矢理曲げ、とりあえず事実を言う。臨也は視線を双子に向けた。

「で、なんでお前らが居るわけ?」
「連絡したよ? イザ兄が本気にしなかっただけだもーん」
「あのな、俺だって暇じゃないんだよ。お前らに付き合ってらんないんだ。その上シズちゃんまで連れ出してさあ」
「ひっどーい! 静雄さんが一緒に行くって言ったのに!」

そんな事言ったっけ、と若干冷や汗を流した。とはいえ此処でそれを告げるのは賢くない。それに二人には感謝したばかりなのだから意地悪する事も出来ない。

「そうだぞ臨也、むしろ俺が連れ出したんだ」
「ほら、静雄さんも言ってるじゃん!」
「どうせ我侭言ったんだろ? 大体シズちゃんもホイホイついて行かない。メモもメールも無いから吃驚したよ」
「……あ」

俺たちはお互い、家を空ける際には連絡を入れると約束している。だが滅多に俺が外に出ない為に、専らその約束は臨也だけが守っている状況だった。忘れていたと言えば印象は悪いが仕方ない。今現在、間違い無く臨也は怒っているから。その矛先が双子に向いているのか俺に向いているのか今は判断出来なかった。

「それは……悪かった。つい……」
「つい、ねえ? テーブルにグラスが二つ置いてあったからクルリとマイルが来たのは判ったけどさ、俺がどんだけ心配したか知ってる?」
「……ごめん」

まずい、このままだと怒られるのは俺だ。だが九瑠璃と舞流に罪を着せる訳にもいかない。二人は悪くないから。黙りこくる俺に臨也は追い打ちをかけた。

「ほら、二人ともとっとと帰りなさい」
「えー! 折角来たのに!」
「仕事があって構えないから。遊びに来るならまた今度な」

ぱっと手を振る臨也に、双子は憤慨する。そこまで言わなくてもと俺が口を開きかけると逆切れした舞流が九瑠璃の手を掴んで逆戻りし始める。

「お、おい! 九瑠璃、舞流!」
「じゃーねー静雄さん、大好きだよ! イザ兄は大っ嫌い!」

べー、と可愛らしく舌を出す舞流。だがその彼女が臨也が背中を向けた瞬間にぱっと笑顔になって俺にウィンクした。なんだ、どういう事だ。怒ってないのか? 九瑠璃も機嫌良く手を振って姿を消した。混乱する俺を無視して二人はわざとらしくばたんと大きく音を立てて出て行く。

「あそこまで言わなくたって良いだろ!」
「良いじゃん、あいつらなんだから」

とりあえず俺は椅子に腰かけて踏ん反り返る男に詰め寄る。俺に肉親が居ない所為か、折角居る妹を蔑ろにする臨也を睨む。だが臨也はしかめっ面を崩さずに眼を細めた。

「シズちゃんこそ、何の連絡も無しに勝手に外出るなんてやめてよね。怒るよ?」
「もう怒ってるだろ、なんだよ。あの二人はお前の妹なのに」
「妹だから俺のシズちゃんを連れ出したの事に腹が立つんだよ」

よく判らなくて眉を寄せる。しかし、苛立っている俺でも一つの可能性が浮かんだ。

「……、あの二人に嫉妬したのか?」
「はあ? なんであいつらなんかに」
「……」

やけに冷静になった俺の頭。「ふうん」と口にすると臨也の逆鱗に触れたのか、立ち上がったと思えばぐっと掴まれ乱暴に机に押し倒されそうになるが、右手の大切な存在を忘れていない俺は慌てて腕を持ち上げた。その所為でカバー出来ずに強かに背を打って痛みに呻く。紙袋を手放さない俺に臨也は不機嫌な顔をそちらに向けた。

「これ、なにさ」
「いって……、っぐ、なんでも良いだろ」

本人の前で暴露するのは頂けない。思わず守るように両腕で紙袋を抱き抱える。てっきり俺は九瑠璃と舞流の荷物持ちに連れ出され、持っているものは買わされた買い物だと思っていたらしい臨也は不信感を隠さない。噛み付くようなキスをされ、両腕を自主的に封じている俺は満足に抵抗も出来ない。

「んんっ、……! いざ、ん!」

何時もより乱暴で強い。だが、この手を滑らせる訳にはいかない。色んな意味で。だが俺の怪力で壊すのも駄目だ。微妙な力加減を加え続けなければならないこの状況じゃキスに集中なんて出来ない。別の部分に意識が向いている俺に臨也は舌を抜いた。

「はぁっ……ぁ、臨也……頼む、本当に頼むから待ってくれ」

切羽詰まった俺の顔を見て面白く無さそうな表情を浮かべる。そして緩まった俺の腕からあろうことか紙袋をひったくる。ちょ、このばかっ、違う違う違う、そんな風に渡したい訳じゃないんだ。

「ま、待って!」
「これ、何? 言わなきゃ捨てるよ」

お前への誕生日プレゼントなんて言える訳ないだろ!

「返してくれ、いやマジ本当に、なんでもするからそれだけは本当に駄目、無理!」
「……」

半狂乱に陥った俺の只ならない様子にようやく臨也は普段と違うと気付き、じっと俺を眺める。明日には臨也のものになるそれを取り返そうと俺は両腕を伸ばす。ひょいと持ち上げられてそれがかわされる。下から見上げる俺に臨也は不機嫌な顔を残したまま言葉を落とす。

「中身なんなの? 俺には言えないの?」
「ぅ……。……あ、明日まで、言えない」
「明日?」

うっかり墓穴を掘った俺は慌てて両手を左右に振る。だが、臨也は思い当たる節を見つけてしまったのか、ぽかんと口を空けた。間抜け面を拝む余裕も無くその隙に奪い取る。見る見る顔が赤くなる俺を見て臨也は短く笑った。

「明日、か。……ひょっとして、それ、さ」
「っ……」

隠すように紙袋を抱え、座り込む俺に臨也は屈んだ。反らした顔、晒す耳に息が吹きかけられた。

「俺に買って来たの?」

どうせなら日付を超えた時に渡したかったのに。臨也の馬鹿野郎。

「っそうだよ、文句あるかっ!!」

やけくそ気味に左手で臨也の胸倉を掴んで引き寄せ、口付ける。腹いせのように舌をぶつけ、噛むぎりぎりまで歯を閉じる。思い通りに行かなかった悔しさ、結局バレてしまった落胆。何度も頭の中で「馬鹿馬鹿」と繰り返し、夢中で貪る。やがて苦しいのか臨也が眉を寄せ、唇を放す。逃がすかと顔を近付ける俺の唇に指を当てて隙間を作る。

「がっついちゃ駄目だよ?」
「うるせえ、うるっせえ! 馬鹿臨也、くそ、うっぜえ!」
「がっつくのは明日ね」
「ふざけんな、ああ、くそっ、てめえの所為でめちゃくちゃだ、なんで、……」

怒り疲れた俺はやがてがっくりと項垂れる。初めて形として臨也に感謝を伝えられると思ったのに。愚図る子供のように涙ぐむ。眼を伏せた俺の顔を片手で持ち上げ、視線が交差する。うー、と弱弱しく睨み付ける俺に掬うような口付けを交わし、機嫌を直した臨也はそっと笑う。

「俺の為だったんだ?」
「……勝手に言ってろ……」

力無く言う俺に、臨也は手を重ねた。

「一日早いけど、頂戴?」
「……」

もう良いや、どうにでもなれ。俺は臨也みたいに前もって準備とかして、計画を練るとかそういうのは向いていなかったんだ。それだけだ。
観念して去年と同じようにキスを贈る。違うのは、俺が渡すものが消耗品じゃないってところ。

「……誕生日、おめでと」

5月4日に――。
くしゃくしゃになった紙袋からまだ無事な箱を押しつけるように渡す。まるで見せつけるようにゆっくり紐解く臨也を横目で見ながら、さっさと開けろと言いたくなる気持ちを抑える。
現れたそれに臨也が息を呑んだ。飽きるほど眺めた俺でもまた眼を奪われる。臨也の反応が嬉しくて少しだけ笑みを作る。

「硝子時計だね……、すごい。綺麗だよ」
「……すげえ悩んだ。二人に助けて貰った。だから、九瑠璃と舞流に怒らないでくれ」

そんな言葉を漏らす俺の額に臨也は唇を寄せる。触れさせながら「ありがとう」と口が作るのを見て自然に笑みが零れ、小さく頷いた。時計を守っていた箱の中から付属の電池を出し、空洞に嵌め込む。どきどきしながらそれを見つめていると、やがてこつ、こつ、と心地よい音を刻み始めた。動くとは判っていても、実際に眼で見ると不思議な安堵感に包まれ、肩の力を抜いた。

「高かったでしょ?」
「ん? まあ、財布の中は空っぽだけど満足だ」

にっと歯を見せて笑った臨也は時計をデスクの上に置いた。僅かに差し込む太陽の輝きを吸収して反射させる。赤みがかった透明なそれは教会のステンドグラスを思わせた。神聖な誓いを申し込む場所に似て、思わず連想してしまった自分の考えを振り払う。真っ赤になりながらぶんぶんと左右に頭を動かす俺に一瞬だけ不思議そうな視線を送ると、何故か笑顔で俺の手を取って持ち上げる。

「時計は前日だし、前祝いって事で」
「……?」
「だから当日はシズちゃんをちょーだい?」
「……!」

去年と同じパターンに一気に顔に熱が集まり、走馬灯のように記憶が蘇る。大体こういう日は「俺の為の祝い事なんだからお願い聞いてよ」と普段あまりしない事をさせられる。

「っ……あれか、マッサージか? よし任せとけ」

回りにくくなっている舌を強引に動かしてそう決め付ける。俺が小学生の時は、デスクワークで肩や背中に痛みを訴える臨也の凝りを解していた。既にかなり懐かしい分類の想い出に振り分けられているその話題を出すと、臨也がにっこりと笑みを作った。

「んーん、そうだなあ、あえて言うなら俺がシズちゃんをマッサージするんだよ」
「ふざけんな、ろくでもねえ事考えてるだろ」
「あ、ちゃんと判ってるじゃん。大丈夫、全身触ってあげるからさ」
「それの何処がマッサージだ! 単なる変態か痴漢だろ」
「さて俺はどっちでしょう」
「両方だ!」

上半身を仰け反らせ限界まで離れようとするが、そんな俺から臨也は一旦目線を外し、机の上で時間を教える正方形を見つめる。夕暮れとも、ステンドグラスの赤みとも関係無く、臨也の頬は僅かに紅潮している。何時に無く早口だったのは、俺から初めて物を贈られた事に対する照れと喜びだろうか。

(そうだと、良いな)

臨也の興奮が伝わってきて、居心地の悪さから身動ぎすると、ばちっと眼が合ってどちらかともなく笑う。

「ありがとう。大切にするね」

人にしか興味が無い臨也が、ほんの少しでも愛情を時計に傾けてくれるだろうか。それが回りまわって、俺に返ってくる。そんな気がする。
そっと伸ばされた手が俺の指の隙間を埋める。戸惑うような吐息を零す俺にくっと身を近付け、零距離で視線が絡む。耐えられなくなったのは俺の方で、瞼を落として限界まで顔を反らす。すぐ傍で臨也が笑ったような気配を感じて薄らと眼を開く。何時もみたいに、何処か他人のように上っ面だけで人を転がすような、そんな笑みじゃない。誤魔化すような人を喰ったようなものでもない。折原臨也としての純粋な好意を全面に押し出したような心から滲み出た綺麗な笑顔。照れ臭そうに目元が赤くなっているのに気付き、滅多に見られない素直な表情に言葉を失う。

「っ……」

握り合っている手が熱い。重なっている部分が火照ってどっちのものか判らなくなる。繋がっていると、勘違い出来る程に。
何処か遠い臨也。何処か壁を作っていた臨也。欲しがっても、何処か空回りしていたような気がする、臨也。そんなのが俺の眼の前で、生まれて来た事を祝福されて心から幸せを感じてくれている。

「いざ……や」
「ん……?」

名を呼んだだけで、俺の言葉が沁みていく。俺の声で、臨也が満たされていく。
今の臨也なら、俺でいっぱいに出来るのか?

「臨也」

はっきりと発音する。その声に焦る気持ちが奔る。今じゃないと、今じゃないと伝わらない気がした。

「臨也っ」

物欲しげで、余裕の無い声。籠る熱を吐き出したい。
ほんの僅かに顎を反らして唇に触れる。沸騰しそうなこの熱、逃がしてくれるのは臨也だけ。切羽詰まっているようで控え目な俺からの口付けに臨也は眼を細めた。心なしか指の熱、あ、

「ん……ぁあ、臨、也……臨也」

何度も唇を合わせる度に臨也の眉も苦しそうに顰められる。くるしいくらいの感情。じわじわと昇ってくる温度に気付けないくらいに、夢中になる。
苦いのに重ねるなんて、人間は矛盾だらけだ。

「シズちゃん」

やや乱れた息で力強く囀られる。時計は電池が無ければ、俺は臨也が無ければ終わるんだろうな。残酷なところは、時計と違って、俺は臨也を失っても時間を止められない事だ。臨也の居ない、進む世界で生きる事、俺にとっての死が、それだ。
俺の震えた睫毛に何を思ったのか。俺の頬を両手で包むと、

「来年も一緒にいようね」

と、笑った。
来年どころの話じゃねえと笑い飛ばしてやろうと思ったんだが、俺はにっと歯を出して三日月を作る。

「プロポーズかよ」

俺にとっては最大級の意趣返しのつもりだった、それ。眼を丸くした臨也に勝った、と内心で拳を作ったんだが、すぐに意地悪く唇が弧を描き俺の左手が取られる。

「求婚するなら、来年どころの話じゃなくて無期限でって言うよ。時間じゃ俺らは縛れない」

臨也の瞳に浮かぶ何処か物欲しげな色。何かを言う前に塞がれた唇の感触を楽しみながら、血のように赤いステンドグラスに眼を細める。こつこつと刻まれる音は伴奏にすらならない。

「だからシズちゃんが欲しい」

物じゃなくてやっぱり、こいつには俺が必要だ。


君を包装紙でくるめば万事解